父の命日 | 山下由紀子「優しく丁寧にぶったぎるパートナーシップ論」

山下由紀子「優しく丁寧にぶったぎるパートナーシップ論」

子どものころの自分の不登校をめぐって両親の夫婦喧嘩が絶えない家庭に育ち、自己肯定感が低くて「自分にはぜったいに幸せな結婚なんて無理!」と思っていた私。今では夫に思いっきり愛されて\幸せが当たり前♡/の結婚生活を送るようになりました。その秘訣をお伝えします♪

今日は父の命日なのです。




3年前の今日の朝に旅立ちました。




その年の春に入院して

もうあまり長くないと聞かされて、

3月から6月まではしょっちゅう

実家のある徳島に帰ってたな。


(当時は大阪にいたので今より近かったのです。)





たくさんお見舞いに行ったし

覚悟はしてたから、

亡くなったときは

もちろん悲しかったけど、

後悔らしい後悔はなかったのです。




でも、亡くなってすぐの頃よりも

こうして何年かたった今の方が

寂しいなーと思います。




父は私のことが大好きで大好きで

ものすごーーーーーく大切にしてくれてました。




自他ともに認める、娘が命!の

お父さんでしたニコニコ




父は祖父から継いだ会社を経営してたのだけど

娘の私から見るとこれっぽっちも

いわゆる社長キャラではない人でした。




人前で話すのが大の大の苦手で

結婚式のスピーチとか頼まれると

それはそれはビビりまくってて煽り





「スピーチの極意」みたいな本とかDVDを

買い漁って研究するんだけど


それでも緊張して無理で

具合悪くなっちゃって


結局、母が代理で行ってたっていう笑い泣き





私の結婚式でも

「みんなの前で挨拶だけは

どうしてもしたくない」と言って


お色直しで数メートル一緒に

入場するのが精一杯で


それさえも1週間くらい前から

「緊張する。どうしよう。」と不安そうで。





固まりまくってたな〜。






でも、そんな父が自分のキャラにまったく

合わないことを

仕事にしてたのって

家族のため、子どもたちのために

他ならなかったのですよね。




本当は小説家になりたかった

って話してました。

(だから、文章は上手でしたニコニコ)




母に対しては横暴な振る舞いも多かったし

ワガママなところも本当にたくさんあったけど、

一生懸命仕事してたのは

家族のためだったんだなと

亡くなってはじめて実感しました。





葬儀のときに仕事関係の方が

たくさんたくさん来てて


「真面目で仕事熱心な方でしたよ」

「よく仕事されてました」って

いろんな人に言われてて、、


お花も、ものすごくたくさん届いてて


「お父さん、こんなに頑張ってたんだな」って

はじめて思ったのです。





娘の立場からでは見えてなかった父の頑張りとか

家族に対する愛情に

そのとき初めて気付かされた気がしました。




もっと早くに気づいてたら

もっともっと優しい言葉を

かけてあげられたのかなと思ったりもします。




十分楽しい時間を過ごしたけど

それでももっともっと

一緒にいられたら良かったなとも思います。




そんなふうに思う気持ちは

尽きないものなのかもしれないですね。





大切な人と一緒にいる時間は

大切に大切にしたいし、

「ありがとう」とか

「大切に思ってるよ」とか

「大好きだよ」とか

伝えられるときに

伝えておきたいですね。




大切な人と一緒にいられること

直接口に出して自分の思いを伝えられることって

本当にかけがえのないことだと思うから。





そして、お父さんが私のお父さんとして

存在してくれてたことがとってもうれしいし

ありがたいなと思っています。




この人生で何をやるか?で

私のお父さんとして生きることを

選んでくれたんだと思ったら、

感謝の気持ちしかないですよね。





そして

私も、私がこの人生で

ふたりの子どもとして生まれてくること

この私として生きることを選んだわけで、

そこで経験したいと思ったこと

学びたいと思ったことがあったわけで。




精一杯この人生を生きなきゃな、と

思ったのです。




そんなことを考えた日でしたニコニコ





この気持ちが天国に届いてるといいなーニコニコ