「あらゆる事に楽しみを見つける」というのは、人間に許された生きる醍醐味である。
人によって価値観はそれぞれ違うけど、もしかしたら人生の価値というのは、「何ができる」ではなく「何を楽しめるか」にあるのかもしれない。
色んなことができる立場にいながら人生を楽しんでいない人より、今、目の前の事に楽しめる人の人生の方が輝いて見える。
そもそも「何ができる」というのは、この技術革新の時代には大した意味を持たない。
僕の親の時代にはそろばんが上手だと重宝されたというが、今ではAIやコンピューターがすべての計算をしてくれる。
でもここで大切なのは人はそろばんを楽しむことができるけど、AIやコンピューターはそれを楽しむ事ができないということだ。
そう、僕たち人間は楽しむことができる生き物だ。
物事を楽しむということは、高度な感性なしではできない精神活動である。
たとえば雨もそうだ。
雨というのは大気中の水蒸気の粒が大きくなり、地上に落下してくる液体である。
しかし僕たち日本人はその雨でさえも、様々に形容して楽しんでいる。
春は春雨、菜種梅雨、花の雨。
夏は卯の花腐し、五月雨、夕立、驟雨。
秋は秋の雨、秋霖。
冬は時雨、氷雨、寒の雨。
いとおしんだり、雨に自分の心情を託す。
そう、あらゆることに楽しみを見い出せるのは、僕たち人間に許された生きる醍醐味なのだ。
だからどうせなら、楽しみながら今を生きよう。
僕たちに大切なのは、どれだけたくさんの事をできるではなく、何をどれだけ楽しめるか、なのだから。
さぁ、今日も1日を楽しもう!