人間は雨に自分の心情を託せる生き物 | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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中村幸也のブログ

2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

「あらゆる事に楽しみを見つける」というのは、人間に許された生きる醍醐味である。

 

人によって価値観はそれぞれ違うけど、もしかしたら人生の価値というのは、「何ができる」ではなく「何を楽しめるか」にあるのかもしれない。

 

色んなことができる立場にいながら人生を楽しんでいない人より、今、目の前の事に楽しめる人の人生の方が輝いて見える。

 

そもそも「何ができる」というのは、この技術革新の時代には大した意味を持たない。

 

僕の親の時代にはそろばんが上手だと重宝されたというが、今ではAIやコンピューターがすべての計算をしてくれる。

 

でもここで大切なのは人はそろばんを楽しむことができるけど、AIやコンピューターはそれを楽しむ事ができないということだ。

 

 

そう、僕たち人間は楽しむことができる生き物だ。

 

 

物事を楽しむということは、高度な感性なしではできない精神活動である。

 

たとえば雨もそうだ。

 

雨というのは大気中の水蒸気の粒が大きくなり、地上に落下してくる液体である。

 

しかし僕たち日本人はその雨でさえも、様々に形容して楽しんでいる。

 

春は春雨、菜種梅雨、花の雨。

夏は卯の花腐し、五月雨、夕立、驟雨。

秋は秋の雨、秋霖。

冬は時雨、氷雨、寒の雨。

 

 

いとおしんだり、雨に自分の心情を託す。

 

 

そう、あらゆることに楽しみを見い出せるのは、僕たち人間に許された生きる醍醐味なのだ。

 

だからどうせなら、楽しみながら今を生きよう。

 

僕たちに大切なのは、どれだけたくさんの事をできるではなく、何をどれだけ楽しめるか、なのだから。

 

 

さぁ、今日も1日を楽しもう!