日本ではあらゆる問題について、「自己責任」と言われる事が多いですね。
貧困問題、いじめ問題、犯罪であっても、都合の悪い事は自己責任で片づけて、弱者を更に追い込んでいきます。
たとえば「路上生活者(ホームレス)になったり、生活保護を受けるのは本人の努力不足だ」とか、「痴漢にあうのはそんな服装をしているからだ」といった具合に…。
日本では往々にしてこういう事がよくあって、なぜか「被害者」が叩かれるのです。
「自己責任論」は日本独特のものです。
海外の日本研究では「日本の自己責任論は独特なもの」という事で、必ず授業をするそうです。
そもそも、相手の背景や環境も知らずに、簡単に「自己責任」で片づける日本独特の考え方って、おかしいですよね?
たとえばホームレスの中には、生まれつき障害があったにも関わらず、診断されないまま大人になった人もいます。
以前、名古屋市で行われた調査では、ホームレスの3割に知的障害の疑いがあった事がわかっています。
つまり、診断を受ける機会も環境もなかった為に、路上へと追いやられてしまったのです。
これが果たして自己責任でしょうか?
「自己責任」という言葉は実に都合がよく、弱者や他人を排除するのに使われます。
しかし、いざ自分がその立場になった時にも、簡単に「自己責任」と言える人は少ないはずです。
これは生活保護受給者に対してもそうです。
生存権を保障する日本国憲法第二十五条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。
生活保護制度とは、資産や能力等、すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度です。
この生活保護費というのは、僕たちが支払っている税金によって成り立っており、税金は国民の「健康で豊かな生活」を実現する為の財源です。
つまり生活保護は恥でも何でもないのです。
それなのに多くの人が生活保護に対して、ネガティブなイメージを持っています。
インターネットでも無知が蔓延し、的外れなバッシングが生活保護受給者へと浴びせられます。
政治家やメディアのネガティブキャンペーンが、さらにそれに追い打ちをかけて弱者を追い込む。
その為、生活が困窮して重い病気にかかっても、生活保護には頼りたくないという人が増え、ウツ状態のままホームレスになる人もいるのです。
しかし人間の能力は平等ではないし、生まれつきハンデを背負っている人もいます。
頑張って、頑張って、頑張り続けた結果、生活が困窮してしまった人だっているのです。
だからなんでもかんでも自己責任論を持ち出して、弱者を叩くのはやめよう。
新しい時代を迎えた今、もっと他人に寛容になって、支え合って生きていく事が大切なのだから。