議論する事はムダじゃない! | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

今日は昨日と一昨日につづき、
あるテーマについて書こうと思っているのだが、
その前にちょっと書きたい事がある。
 
僕は今日の朝、ブログやFacebookなどで、
このように書いた。
 
 
年配「俺の若い頃は、皆ろくに休みも取らずに働いたもんだ」
僕(生存バイアスだ……)
 
年配「そうやって働いてきたから今の俺がある」
僕(自己正当化だ……)
 
年配「若い奴に金がないのは、そういった仕事に対する情熱が足りないからだ」
僕(認知の歪みだ……)

 
 
それに対してある方からFacebookに、
こんなコメントをもらった。
 
 
「今の時代 恵まれすぎ!
精神と肉体のバランスが取れない!

肉体労働の時代は精神が 
鍛えられ、心が健康だった!
今の時代は 飽食時代だ!」

 
 
それに対して納得いかなかった僕は、
下記のような返信を書いた。
 
少し長くなるが、
ぜひ、読んでほしい。
 
勘違いのないように前もって言っておくと、
僕はこうしたコメントを頂く事を
すごく感謝している。
 
なぜなら、意見が一致しないからといって、
その人への尊敬の念が消えるわけじゃないからだ。

 
意見が一致しない事と、
相手を嫌いになるという事は、
そもそもまったく別の話だ。
 
それよりも意見を出し合う事により、
お互いに成長していく事ができる。
 
 
だから自分の意見はちゃんと主張する。
 
 
ここからがその人に対して書いた
僕からの返信である↓

 
 
 
それこそまさしく「認知の歪み」といえる。
 
今の時代が飽食時代だというなら、
それを招いたのは誰か?
 
その原因を作ったのは、
まぎれもなくその前の世代の人間だ。
 
それに恵まれているのは「今の若い子」ではなく、
高度経済成長期やバブル期を生きた
「今の年配者」である。
 
高度成長期時代を生きた人たちと
今の若者の価値観は大きく違う。
 
それなのに、若者たちに対する大人の見方は、
高度成長期のまま、ほとんど変わっていない。
 
確かにかつては多くの若者が
将来に希望を持つ事ができた時代だった。
 
パイプラインがしっかりしていた事もあり、
大学を出れば相当の職が保証された。
 
「若いうちに苦労すれば、
その分、必ず将来報われる」

その言葉も真実だった。

 
なぜなら、マイホームやマイカーを購入し、
豊かな家庭を築き上げる事が
誰にとっても到達可能であったからである。
 
 
当時の日本人は人並みの努力をすれば、
報いとしてそのような生活を手に入れる事ができた。
 
だから誰もが未来に希望を持てたのである。
 
 
しかし今、時代は大きく変わった。
 
 
未来への希望を持つどころか、
現在と同じ生活水準でこのまま暮らしていけるか
不安に感じている若者が増えている。
 
バブル崩壊後、ビジョンを失った日本は、
人件費削減の為に若者を犠牲にし続けてきた。
 
総務省統計局の統計によると
一九九〇年に八八一万人だった非正規雇用者数は
二〇一四年に一九六二人と二倍以上になっている。

 
昔なら男性で大学を出ていれば、
それなりの職に就く事ができたし、
大企業に勤めれば終身雇用で将来も安泰だった。
 
しかし今では大学を出ても
フリーターにしかなれない者もいる。
 
 
若者は大卒であっても、貧困に行き着く。
 
 
大企業に入社しても、
倒産やリストラとは無縁でいられないのだ。
 
社会で活躍の場を与えられる者もいれば、
就職すらできずに将来に絶望して生きる者もいる。
 
日本社会は、将来に希望がもてる人と
将来に絶望している人に分裂していく
プロセスに入っている。
 
 
これを社会学者の山田昌弘氏は
「希望格差社会」と名づけた。

 
 
高度経済成長期のように少し努力すれば
それなりの安定した生活が描けた時代は過去の話。
 
現代日本では努力してもしなくても、
この先ずっと不安定な状況が続く事が予測されている。
 
そんな状況を生きている若者たちに
対して「恵まれている」と言うのは酷な話だ。
 
何も見えない夜の闇の中で、
灯りも持たずに歩く姿を想像してほしい。
 
自分がどこに進んでいるのかなんて、
まったくわからない。
 
それどころか、
どこを進んでいいかもわからない。

 
 
それが若者の心境なのだ。
 
 
確かに僕も自分を含め、
今の若者たちは恵まれている部分が多々あると思う。
 
インターネットの普及によりグローバル化していく世の中で、
自分のやりたい事を実現するチャンスも増えた。
 
しかし若者が若者に「恵まれている」と言うのと、
浮かれたバブル期を過ごした後に
平成不況を巻き起こした張本人たちである年配者が、
「今の若い者は恵まれている」と
言うのとでは意味合いが違ってくる。
 
若者からすれば
「もっと恵まれているおまえらが言うな!」
となるのである(笑)

 
若者たちが今の年配者のように
年金を貰える可能性は、ほぼゼロだ。
 
AIなどの人工知能ロボットの出現で人間の働く場は減り、
給料は下がっていき、おそらく退職金制度もなくなるだろう。
 
ベーシックインカムが実現すれば、
お金の不安はなくなるだろうが、
それだけで生きていくのはつまらないだろう。
 
だからこそ、誰もが自分のやりたい事をやり、
それに没頭しながら生きていったほうがいいと僕は思うのだ。
 
 
若者たちは自由に自分の好きな事、
やりたい事をやればいい。

 
 
年配者たちも時代が大きく変わっている事を受け入れて、
若者たちの自由な生き方を尊重してあげればいいと思う。
 
おそらくこれからの数年で日本だけでなく、
世界が大きく変化します。
 
若者たちはその変化の流れの中で生きなければならない。
 
その為にも変化を恐れるのではなく、
変化に適応しながら、自分のやりたい事をやって
楽しみながら自分の人生を生きてほしい!

と僕は思うのです。

 
 
そして僕自身もそうありたい!
 
 
かなり長くなったが、
このように返信した↑
 
それで終わったらもったいないから、

ブログにもアップしたってわけです(笑)