僕が教師に往復ビンタをくらった話partⅡ | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

今日のコラムは昨日のコラムの続きだ。

http://amba.to/2xWKhM6

  

昨日のコラムを読んでない人は、
まずはそっちから読んでほしい。

⇒ 僕が教師に往復ビンタをくらった話

 
これは小学4年生だった僕たち4人が、
図工に使うハンガーを忘れて
公開処刑のようにみんなの前で
往復ビンタをくらった話の続きである。

 
ちなみにこれを言うと僕の年がバレるので
あまり言いたくはないが、
これはもうかれこれ30年近く前の話だ。
 
その時、僕がもっとも驚いたのは、
同級生たちの「異常さ」である。

 
 
絶対おまえらの脳みそイカれてる!
 
 
マジでそう感じた僕はそいつらを無視して、
母親が教頭宛てに書いた手紙を持って、
教頭の元へ向かった。
 
そして「母からの手紙です」と言って、
その手紙を教頭へと渡した。

 
するとしばらくすると、
さっきまで僕を制止していた何人かの子たちが、
教頭の元へ言って何か話している姿が見えた。
 
僕は他の子に「あいつら何しに言ったん」
と聞いた。
 
「なんか『手紙を取り返す』とか言ってたで!」
とその子が言う。

 
 
マジか・・・?
本気でイカれとるんか!?

 
 
僕は呆然とした。
空いた口が塞がらない。
 
しばらくするとその子たちが戻ってきたので、
僕はその子(Aとする)にこう聞いた。
 
僕 「おまえら何しに行ってたん?」
  
A 「『さっき渡した手紙はまちがいです。
だから返してください』って言いにいったんや」

 
ますます呆れる・・・。
 
僕 「ほんで返してもらったんかいな?」
 
A 「『いや、まちがいなのはわかったけど、
一応、目は通させてもらう』って言われたわ」

 
 
僕 「そうか、そんなら良かったわ」
 
 
僕は母からの手紙が無事
教頭の手に渡った事でホッとした。
 
しかし、Aたちは怒り狂っている。
というか、完全にとち狂っている。

 
「何が『良かった』やねん!
おまえ自分がやった事わかってんのんか!」

 
「は?オレがなんか悪い事でもしたんか?」
 
「手紙に何が書かれてるか知らんけど、
絶対に昨日のこと書いてんねやろ?
そうなったら●●先生が教頭に怒られるやんけ」

 
「それがどないしてん!
昨日の事実をオレのおかんが書いただけやろ!
何が悪いねん」

 
「もしそれで●●先生がクビになったら、
オレはおまえを許さんぞ!」

 
 
「上等じゃ!ボケっ!!!」
 
 
そいつらが完全にイカれていると思った僕は、
堂々と自分自身の考えを主張した。
 
そしてその夜・・・
 
教頭と一緒にその●●先生が、
僕の家へ謝罪にやってきた。

 
僕は別の部屋でこっそりと話を聞いていたが、
父がとても怒っていたのが記憶にある。
 
「忘れ物をしたのは確かにうちの子が悪い!
だけど・・・」
といった感じで。
 
僕の場合は父と母のおかげで、
ある意味、救われたといえる。
 
学校側がもみ消したりする事もなく、
しっかりとした対応を見せてくれたからだ。
 
しかし、もともとあった僕の中の
「忘れ物をするのは悪い事」という思い込みは、
その後もますます強まる事となった。

 
 
次の日、●●先生はみんなの前で謝罪した。
 
 
すると、前日に僕を制止しようとしていたAたちが、
僕のところへやってきてこう言った。
 
「先生、あやまってたな。
先生があやまってたし、
オレも悪かったと思う。ゴメン」
と。
 
その言葉に僕はまた、
カチンっときた。
 
 
いやいやいや、それはちゃうやろ!
 
 
先生があやまったから、自分も悪かった?
先生が間違いを認めたから、自分も認める?
 
なんやねん、それ!
 
ほんなら、なにかい。先生が謝らんかったら、
おまえも絶対に謝らんのんかい!
 
先生が謝ったら、自分が悪くないと思ってても
謝るんかい!

 
 
おまえらの基準はどこやねん!
 
 
そう、僕が今回のコラムで伝えたかったのは、
学校の酷さとか先生の悪さとかだけじゃない。
 
ましてや、悲しかった事とか、
悔しかったとかを嘆きたいわけでもない。
 
この「学校」という場所の中で洗脳され、
自分で善悪の判断もできずに育った子どもたちが、
大人になってもその思考のまま
自分の子どもを育てている可能性がある!

という事だ。
 
親や大人たちは
「自分が経験してきたことは良い事だ」
という思い込みがある。
 
だから学校で体罰やらイジメがあったとしても、
「でもいい所もあるじゃん」という感じなのだ。
 
Aたちの中にも、
「先生は正しい」「先生が間違うはずがない」
という思い込みがあった。
 
 
そしてそれは僕の中にも・・・。
 
 
だから「先生が言う事は絶対!」という思考で、
なんの疑問も持つ事なく、
ただ言われるがままを信じ続けてしまったのだ。
 
悲しい事にこういう幼少期を過ごした子たちは、
大人になってもその思考を持ち続けてしまう傾向にある。
 
中でも多くの大人たちが思い込んでいるのが、
「学校教育は絶対に必要な場所である」
というものだ。
 
だから「なるべくなら学校には行くべきだ」とか
「宿題をするべきだ」「嫌でも勉強をするべきだ」
「先生の言う事を聞くべきだ」と言う。

 

 
こうするべきだ。
ああするべきだ。

 
 
普段はこの「かくあるべき」に囚われないように
と言っている心理カウンセラーでさえ、
「学校」に関しては
この「かくあるべき」に囚われている始末である。
 
そして「学校は勉強以外の事もたくさん学べる」
と言って、学校を「絶対視」しすぎてしまうのだ。

 
確かに学校は勉強以外の事も学べるだろう。
 
部活などを通して仲間の大切さや努力の大切さを学び、
思い出を作る事だってできるかもしれない。
 
 
でもさ、それってさ、
学校以外の場所でも学べるよね?

 
 
ちなみに僕は小学生の時は空手を習い、
中学生の時も部活に入らず、
器械体操を習っていた。
 
僕はそこで努力について学んだし、
たくさんの思い出だって作れた。
 
しかし誰もが僕たちのように
スポーツを通して何かを学べるとも限らない。

 
そもそもこういった考えは、
スポーツが好きだというのを
前提にしての話にすぎない。
 
スポーツが嫌いな人にとっては、
むしろ最悪の思い出になるかもしれないし、
人づきあいが苦手な人にとっては、
仲間との時間なんて拷問と同じかもしれない。
 
 
人それぞれ性格も違えも価値観も違うのだ。
 
 
あなたが学校で勉強以外の●●を学んだからといって、
他の子もそれを学べるとは限らない。
 
あなたが学校で良い思い出を
たくさん作ったからといって、
他の子もあなたと同じように
良い思い出を作れるとは限らないだろう。
 
そもそも、もしそれが「学校でしか学べない」なら、
今の子たちが学校以外でもそれを学べるように、
そういう場所をバンバン作っていけばいいじゃん!

 
「学校でしか学べない事がある」なんて
何を視野の狭い事を言っているんだか。
 
 
子どもの可能性を侮るなかれ!だ。
 
 
子どもは学校なんか行かなくても
自分で自分の学ぶべき事を見つけるし、
すべての子どもは生まれつき
自分だけの才能を持っている。
 
努力の大切さとか仲間のすばらしさだって、
学校以外の場所で見つける力を持っている。

 
それを忘れて盲目になってはいけない。
 
教育システムに疑問を持たず、
「そういうものだから」という理由だけで、
子どもを学校に行かせる親は、
アホだとしか言いようがない。
 
勘違いしないよう念の為に言っておくが、
別に僕は学校を憎んでいるわけもないし、
この時の●●先生を恨んでいるわけでもない。
 
こんな事が目の前で起こっていたのに、
それに疑問を持つ同級生がほとんど
皆無だったのだ。
 
 
ちなみにこれらの事を踏まえて、
僕は日頃から子どもたちにこう言っている。

 
 
「大人だって間違う事がある。
先生だって間違う事がある。
そしてパパだって間違う事がある。
そう、君たちと同じようにね」
 
「だから『パパが言う事が絶対正しいとか、
絶対に間違っていない』と思ってはいけない。
常に自分の中にできる「?」を大切にして、
自分で自分の答えを見つけていけばいいんだよ」
と。
 
間違えてもいいし、失敗しても、
そうやって自分で決めた道を進んでいけば、
それが必ず自分の成長に繋がるはずだから。