二上山を弟(いろ)と見む | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 うつそみの人にある我れや 明日よりは二上山を弟背と我れ見む

 巻2 165 大伯皇女(おほくのひめみこ)

 現世の人である私は、明日からは二上山を弟として見ます

 「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首」の一つ。

「うつそみ」は「うつせみ」の古形で(うつしおみ→うつそみ→うつせみ)と転じました。「うつ」は(現)、「おみ」は(臣)で人を意味します。『万葉集』には「空蝉」「虚蝉」の表記があり、(蝉の抜け殻)を意味します。

「二上山」は葛城連峰の山で雌雄二峰に分かれており、雄岳の頂上に大津皇子の墓があります。「弟背(いろせ)」の「いろ」は(同母を示す語)だそうです。

 「大伯皇女」は天武天皇の娘で大津皇子とは同母姉です。伊勢神宮の「斎王(斎宮)」で天皇以外の男性と会うことは禁じられておりました。大津皇子は禁を破ったために謀反の志ありとして24歳で処刑されました。皇位継承をめぐる陰謀が背景にあります。

「大津皇子」は「天武天皇」と「大田皇女」の子で天智二年(663年)の生まれです。母は5歳の時に亡くなりました。天武天皇には大田皇女の妹である「鵜野讃良皇女」(後の持統天皇)との間に「草壁皇子」がおり、皇位を継がせたいと考えた「持統天皇」の陰謀により罪をきせられたと考えられます。

 「大津皇子」の辞世の歌

 百伝ふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻3 416)

※関連する記事は、3月14日と4月26日に投稿済みです。

 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに

 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし