酒を讃(ほ)むる歌 | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ

  巻3 348 大伴旅人

 この世で楽しく酒を飲んで暮らせるなら、来世には虫にでも鳥にでも私はなってしまおう

  太宰帥大伴卿「酒を讃むる歌十三首」のひとつ。

「し」は強意。「楽しくあらば」は未然形(仮定)なので、酒を楽しく飲めるのであれば虫や鳥になってもかまわないと詠んでいます。仏教では、酒を飲み耽(ふけ)ると「畜生道(人以外の生き物に生まれ変わる)」に落ちると諭しておりました。「来む世」の「む」は助動詞で「未来」とも「婉曲」表現ともとれます。「な(完了「ぬ」の未然形)+む(推量)」は共に助動詞で「強意」になります。「生けるもの遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくあらな」(巻3、349)という歌もあり、いつかは死なねばならないのだから生きている間は楽しく過ごしたいという考えが基本にあると思われます。

 もう一首「なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも 酒に染みなむ」(なまじっか中途半端な人間として生きてなんかいずに、いっそ酒壷になってしまいたい。そうしたらいつも酒浸りになっていられよう)。「なかなか」はおもしろい日本語です。中途・中間の意味の「中」を重ねた語で(起点でも終点でもないどっちつかずの状態)を表し不十分・不満足の意味で用いられます。上代では「なかなかに」の形の副詞でしたが中古以降は「なかなかなり」(形容動詞)の用法が生じ、「に」を伴わない副詞「なかなか」の形でも用いられたようです。「てしか」は(願望)です(完了の助動詞「つ」の未然形+終助詞「しか」)。多くは詠嘆の終助詞「も」「な」を伴って用いられます。

 この歌の背景には(理想とする生き方ができていない)と感じていた「旅人」の苦悶があると思われます。

 「耳成山(みみなしやま)」の登山口の鳥居には「耳無山」と刻まれており、山の形に余分な所が無いことが由来で、万葉集には「耳梨山」とも表記されているそうです。「大和三山」の一つです。