母なる歌 | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈

 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに

  巻16 3807 前の采女

 安積山の姿さえも映し出す清らかに澄んだ山の井、浅いこの井戸のような浅はかな心で私はあなた様をお慕い申し上げているわけではありません

葛城王、陸奥の国に遣わされける時に国司の祇承、緩怠にあること異(こと)に甚し。時に、王の意(こころ)悦びずして怒りの色面に顕れぬ。飲餞(いんぜん)を設(ま)くといへどもあへて宴楽せず。ここに前の采女あり、風流の娘子(をとめ)なり。左手に觴(さかづき)を捧げる、右手に水(瓶)を持ち王の膝を撃ちて、この歌を詠む。すなはち、王の意解け悦びて、楽飲すること終日(ひねもす)なり」と歌が詠まれた経緯が説明されています。「采女」は(天皇・皇后)に仕えた女官です。

 この歌は、1月11日の投稿「父なる歌、母なる歌」で紹介した歌です。「古今和歌集」の序文の中で在原業平が「これから和歌を学ぼうとする者はこの2首を「和歌の父母」として学ばなければならないと述べた「母の歌」です。(父の歌は「難波津に咲くやこの花冬こもり今は春べと咲くや木の花」)この2首が書かれた「木簡」が2,008年5月「紫香楽宮跡」(宮町遺跡)から出土しています。天平八年(736年)臣籍に下った橘諸兄が陸奥下向の時の出来事とされていますが史書には見あたらないそうです。

 私の住む「郡山」の歌ということで「万葉集」講座でも人気が高く、カレンダーにも2度採用されました。郡山では、8月初旬「采女祭り」が催されます。この歌の縁で「郡山市」と「奈良市」は1,971年に「姉妹都市」になりました。

 郡山市「山の井(農地)公園」には「采女伝説」ゆかりの地ということで、この歌の「歌碑」が建っています。

 「安積山」は、郡山盆地と猪苗代湖の間にある標高1,000m級の山々が連なる奥羽山脈の右端(北側)の山で標高1,008.7mです。八幡太郎義家が元服の時、髪を剃ったという伝説があり「額取山(ひたいとりやま)」とも呼ばれています。

 「福島県」の天気予報は「会津中通り浜通り」に区分されます。(福島・郡山・白河)は「中通り」で、西の「奥羽山脈」と東の「阿武隈山地」に挟まれ盆地になっています。西の「奥羽山脈」を越えると「新潟県」に隣接する(喜多方・会津・只見)など冬は積雪の多い「会津」で東の「阿武隈山地」を越えると温暖な(相馬・双葉・いわき)など太平洋に面した「浜通り」になります。