幸(さ)くあれと祈る | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 父母が頭(かしら)掻撫で幸(さ)くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる

  巻20 4346 防人丈夫部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)

 父さん母さんが俺のこの頭を撫でながら達者でなと言ったあの言葉が忘れられない

「あれて」は「あれと」、「言葉ぜ」は「言葉ぞ」の訛り。「幸(さ)く」は、上代の東国方言で、中央語の「幸(さき)く」に相当します。副詞で(無事に、変わりなく)の意味で使われます。「つる」は(完了・確述)の助動詞「つ」の連体形(係り結び)です。

 当時(別れ際に頭を撫でて無事を祈る)まじない的な習俗があったようです。「稲麻呂」は、駿河国の生まれで、天平勝宝七年(755年)2月「防人」に任じられ3年間、北九州の警護を担当させられました。この歌は、道中または筑紫から故郷の父母を回想して詠んだ「防人歌」です。防人本人が詠んだ歌が「万葉集」には87首あり、妻の歌10首、父の歌1首を含めると98首、詠まれています。「防人」は自己負担も大きい上に命の危険も伴う任務(義務)でした。任地へ行くだけでも大変で稲麻呂も2カ月もかって筑紫までたどり着いたようです。

 「能登半島地震」の被災者の方々に「幸くあれ」とお祈りいたします。

 昨日のテレビニュースで「白米千枚田」でボランティア(オーナー)による田植えが行われたことを知りました。4ヘクタールに1,004枚の棚田があるようです。