このころの我が恋力(こひぢから)記(しる)し集め 功に申さば五位の冠(かがふり)
巻16 3858 作者不明
このところの恋に捧げた俺の労力を記録し書き連ねて、功績として申請したら五位の冠ものだろう(従五位下に「叙爵」され貴族になれるだろう。銭や稲束などを献納することで官位がもらえる「献物叙位」を念頭に詠まれたものと思われます。当時は運ぶことが困難であったため、物だけでなく運搬する手間への評価も重視されました。古墳時代の5世紀頃から支配層の人たちは冠を着用しておりました。かがふり→かうぶり→かんむり。「恋力」は恋のための労力や苦労)
NHKの大河ドラマで「光る君へ」が放送されています。立身出世に関係する「官位相当制」と「二官八省」の関連に興味を持ち調べてみました。
「正一位」から「少初位(そい)下」まで30段階あることを知りました。「正五位上」で上から11番目にあたります。正五位下、従五位上、従五位下(少納言など)と続きます。
(官職と位階は必ずしも一致せず、官職が位階より高い場合「従五位下守右京大夫」のように「守(しゅ)」をつけ、逆に位階が官職より高い場合、「従四位下行伊予守」のように「行(こう)」をつけるということを知りました。(古典の先生から教わった1等官「かみ」2等官「すけ」3等官「じょう」4等官「さかん」という基礎知識は今も役に立っています。)
「興福寺中金堂300年落慶法要」は2018年でした。「世界遺産」に認定されています。
「法相宗」の総本山で藤原鎌足・不比等が創建した「藤原」家の氏寺です。
古代から中世まで絶大な力を持っておりました。平安時代の初期から宮司は1人分の「叙爵権」を持っており、「叙料」を納めさせて貴族(通貴)にさせることができました。