韓衣(からころも) 裾に取り付き 泣く子らを
置きてぞ来ぬや 母(おも)なしにして
巻20 4401 防人 他田(をさた)舎人大島
韓衣の裾に取り縋って泣きじゃくる子ら、ああ、その子らを置き去りに
して来てしまった。母親もいないままで。
男やもめが防人の任につくために置いてきた子らを思って詠んだ歌。
「韓衣」は大陸風のよそゆきの衣。長野県上田市の近くにあった小県
(ちひさがた)郡の人の歌。
「防人」は、朝鮮半島で「白村江の戦い」(663年)に敗れたため、
翌年、中大兄皇子が筑紫・壱岐・対馬など北九州の防衛にあたらせた兵士。
主に「東国」から集められ、「部領使」という役人に連れられて徒歩
(裕福な人は馬で)で難波津を経由して任地に向かった。任期は3年で
任務期間中の食糧や武器のほか帰路の旅費も自費だったため帰りたくても
帰れない人もいました。
最後に「防人の歌」もう一首
「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず」
写真は、経由地のイメージです。奈良には大きな川がないので雲海は年に
数回しか発生しません。貴重な光景です。