韓国の人は、少し親しくなればかなり個人的な事をドンドン聞いて来ます。
特に私が韓国にいた時代には、今よりさらにゆるい時代だったのか、年齢はもちろんのこと、結婚してるのかしてないのか、父親の仕事はなにか?家の広さは?など突っ込んで聞かれました。
年齢は、敬語を使うべきか、パンマルでOKを見極める大事な情報になるのでまあ理解するとして、かなりパーソナルなことまで聞くのはどうなんだろうかと思いつつ、そういう文化なんだろうと理解しました。
私が韓国にいたのは、ちょうど20代後半。
韓国アジュマ、アジョシたちの中では、「20代後半=適齢期に入った」という固定観念が強かったようで、私がまだ独身だというと、
「あれまあ、そろそろいい人見つけなきゃ」とか
「あれまあ、そろそろ結婚するつもりはなのかい」とか
いろいろ言われました。
アジュマ、アジョシたちの好奇心を思うなら、それぐらいの質問をしたくなる気持ちも分かるし、何度もそんな質問されていたら、慣れて来て、上手に返す技も出来てきますが、「おおーそう来たか~」という直接的な質問を受けたこともあります。
ある日のこと、タクシーの運転手さんと話していた時のこと。
私がまた独身だってことが分かった運転手のおじさんが言ったのがこのセリフ。
아가씨, 아직 결혼을 안 했군요. 그런데 결혼을 안 하는 거에요? 못 하는 거에요?
(お嬢さん、まだ結婚してないんだね。結婚をしないんですか?それともできないんですか?)
めちゃ失礼といえば失礼。
でも、すごいいい質問。
〈안 하다〉〈못 하다〉。
「しない」のか「できない」のか。
「する気がない」のか「する気はあるけれどできない」のか。
私の返しは・・・
둘 다겠죠.
(両方じゃないですか~)
〈안〉と〈못〉。それぞれ、たった1文字。
でも、この1文字に、
そもそも意志がないのか、
いや、意志があるけれど残念ながら実現に至っていないのか、
そういう深い意味が隠されています。
ですので、生徒さんの作文を添削していても、
「時間がなくてご飯を食べなかった」なんて文の韓国語訳に〈안〉が使われていると、
単純な否定の〈안〉よりも、不可能の〈못〉の方が適しているはずだと思うのです。
おそらく食べたかったけれど、忙しいという事情により食べられなかったわけですから。
そういうわけで、〈안〉と〈못〉の違いを生徒さんに伝える際には、私はいつもこの
결혼을 안 하는 거에요? 못 하는 거에요?
という運転手さんのどぎつい質問を例に挙げております。