最近、年のせいか人の名前が出てこない・・・というのは日常茶飯事なのですが、さらにひどいことに、物の名前がパッと出て来なくてすべて「あれ」で置き換えてしまいがちです。
同い年の夫も状況は同じようで、先日、冷蔵庫を開けて何かを探してるようだったので、何を探してるか聞いてみたら、その物の名前がすぐ出て来なかっのか、
「アレ探してる、あの、腐った豆」
との返事。
「腐った豆」・・・どうやら納豆のことだったのですが、なんだかもう悲しい老化の現実です。
その事件をきっかけにある出来事を思い出しました。
韓国にいたときのこと、ほとんど自炊してなかったので家に調理器具がなかったのですが、ついにまな板を買いに行くことに。
家の近くの金物屋を訪れて、まな板を探してみましたが見つからず。
お店のアジュマが声をかけてくれたのですが、「まな板」という韓国語が分からない私。
「あーえっと、探しています。料理に使います。野菜を切ります。四角いです」
というような「まな板」に関するヒントを韓国語とボディーランゲージで伝えたところ、アジュマが見事に把握してくれ、
「あー、まな板ね」といって場所を教えてくれました。
まるで連想ゲームのようなやりとりです。
でも、こういうコミュニケーションもあるんだなあと、すごく感動してしまいました。
おばさんの読み取る力に本当に感謝しつつ、突然の連想ゲーム式コミュニケーションスタイルにもちょっと嬉しくなりました。
こういう力をなんといっていいのか?置換力?そういうものもコミュニケーションにはとっても必要だなあと思った出来事でです。