TOPIK対策の勉強を生徒さんとしてるのですが・・
作文の試験って、語学力以外のものが試されているように思えて仕方がないです。
もちろん、韓国語で書くので、韓国語の語彙力、表現力を試されてるのですが、その前に、きれいに、まとまりのある文が作れるか、それがポイントになってる気がするのです。
つきつめると、同じことを日本語でやれと言われ、ちゃんと論理的な文が組み立てられるのだろうかなって話です。
韓国語の試験だけではなく、例えば英語も。
数年前、英検1級の試験を受けたのですが、ライティングにしても、スピーキングにしても、あるテーマについての考えを論理的にまとめて書いたり、話したりする必要がありました。
例えば、地球温暖化とか、少子化とか、グローバル化とか。
それっぽい意見をもってきたとして、要点、そして、要点をサポートするアイデアをきちんと上げられるかが大切で、英語力ってより、論理力、まとめる力が試されてる気がして仕方がありませんでした。
なので、試験対策も、英語の勉強と言うより、
「〇〇〇というテーマについて、賛成か、反対か、そして、その根拠をササっとあげる」
そんな練習ばかりしてましたし、
周りで英検の勉強しているという人がいたら、
「ライティングとスピーキングは、英語力もそうだけど、いろんなことに対するいろんな視点を、日本語ででもいいから、論理的にまとめる練習をしとくべきだよ」
とアドバイスしてます。
だいぶ前の話ですが、カナダのトロント大学が行っている外国人向けの英語のクラスを受けたことがありまして、ひたすら、論理的な文を書く練習をさせられました。
メインの意見、そして、その根拠になる考えをいくつかあげて行く。
根拠になってるようで、根拠になっていない・・・
根拠になる考えが、つきつめると、どれも同じことを言い換えてるだけで根拠として弱い・・・
いろいろなミスを犯しがちです。
英語の勉強ってより、文章教室?書き方教室?って感じで、それはそれですごくタメになりましたが、
「あれっ、英語のクラスだよね?」って感じではありました。
同じく、韓国語の作文クラスと言ってはいるけれど、まず、作文の問題を見て、日本語で論理的に文章を組み立てる作業が必要で、授業をしていても、
「あれっ、韓国語のクラスだよね?文章教室になってる?」って思う時があります。
語学力=語彙力、表現力とはいえ、作文の試験で試されるのは、万国共通な文章力、論理的にまとめる力、それにつきます。
語学は、それを表現するツールだということ、それを実感しています。