日本語と韓国語を教えている中での実感として、生徒さんのタイプは大きく2つにわけることができます。
①細かいことがとても気になるタイプ
②細かいことは気にしないタイプ
例えば、アメリカ人のご夫婦との日本語レッスンで、旦那さんの方は、細かいことがすごく気になる方。
「山田さんは、東京に住んでいると思います」
というような文も、
「『住んでいる』は、『住む』の『て形』に『いる』がついているけど、この『いる』は何だ?」
「『~と思います』は、引用文で、引用文の前にはShor-formの現在形が来るんだな?」
というように、一つ一つに日本語の文法用語や定義にあてはめないと前に進みません。理論派、頭脳派(?)です。
奥さんの方は、理屈はともかく繰り返し「山田さんは、東京に住んでいると思います」を口に出して、覚えようとする、肉体派(?)。
旦那さんが細かいことを私に質問しようとすると
「そんなの気にしないで、こういうものだって覚えちゃいなさいよ」
と言ったりもして、2人の違いを感じます。
韓国語を教えていても、同じです。
発音の変化や動詞の変わった活用にすごく敏感に反応して、
「どうして、こうなるんですか?」
とそこでストップするタイプもいれば、
「これはこう発音するんですね~。へ~」
で終わって、先に進むタイプがいます。
性格の違い、性格の差で、どちらが良い、悪いはまったくありません。
「細かい理屈を考えすぎたら、前にすすめないから、そういうものだと思って進む方がいい。木を見て山を見ず・・・になってしまうから」
と言う意見もあり、それも一理あります。
でも、気になる人は、どうしても、細かいことが気になってしまうんです。仕方がないんです。
語学のテキストなんかでも、
「これは難しい点なので、今はおいておきます。とりあえずそういうものだと覚えておきましょう」的な書き方をしているものもあります。
その考えにも、やはり一理あると思います。でも、気になる人は、気になるのです。
いろんなタイプがいるとしても、言語を勉強している以上、何かしら「気になる点」が出てくるのが普通です。
「気にするな」って言われて、気にしないでいられるわけでもありません。
そして、その「気になる点」は人によって違うのも当然です。
単に、単語を覚える、文法を学ぶ・・・ということだけではなく、
いろんな
「分からない」
「気になる」
「どうして?」
をひも解いていくからこそ見えてくる、いろんなこと。
それを感じることができる言語のむこうにみえるものたち。
最高の知的探求だなあ、あーやっぱり、言葉は面白い。
と思って今日も英語、日本語、韓国語・・・3つの言語に触れてみる私です。