私が韓国語が「できる」と言えるにようになるまでのこと。 | 小さな町から韓国語

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田舎暮らしをしながら、韓国語教室を運営しているおばさん先生のブログ

韓国語教室をしていると言うと、よく聞かれます、「韓国の方ですか」って。「日本人なんですけど、韓国に住んでて」って言うと、そこからなぜ韓国にいたのか、どうやって韓国語が話せるようになったのか、という話の流れになります。

 

私は、父も母も日本人なのですが、24歳の時、日本語教師という仕事で渡韓しました。

今は韓国大好き人間な私ですが、そもそもは、韓国に全く興味もありませんでしたし、韓国語もできませんでした。

 

本当は、英語圏の国で日本語を教えたかった(英語ならコミュニケーションできるし、と思って)のすが、所属している団体から「韓国行かない?」と誘われ、ほいほい行くことにしたのです。

 

若さって怖いです。言葉も知らない国に、いきなり行くことを、私は、けっこう簡単に決めたように思います。

 

で、韓国に行くのですが・・・韓国語ができなくても生活はできたと思います。

 

まず、日本語教師の私は、授業で日本語しか使いません。それに、日本語ができる韓国の人がたくさんいて(職場に)、なんやかや助けてくれます。そういう環境に甘えさせてもらうなら、基本的な韓国語さえできれば、生活はなんとかなった気がします。

 

でも、若さってまじめでピュアです。

 

「せっかく、韓国にいるなら、韓国語マスターしないともったいなくない?」

 

って思ったのです。

 

当時はまだミレニアム前、韓流ブーム到来前の話、英語ならともかく、韓国語が将来役立つ可能性もないだろうと、費用対効果的なことは一切期待していませんでした。

 

「お隣韓国の言葉を学んで、日韓の懸け橋になろう!」なんて大それた気持ちも、もちろんありませんでした。

 

ただ、この国にいるこの状況を最大限生かして、言葉を学んでおかないと、もったいない気がしたんですね。

 

で、本屋さんでテキスト買って、いろいろ勉強して、分からないことは、すぐそばにいる職場の韓国語ネイティブに聞いたり、発音してもらったり。

 

本もたくさん読みました。映画もたくさん見ました。新聞もたくさん読みました・・・。

 

というかんじで、私の韓国語は、基本的には「独学」とは言えますが、なんせ周りには韓国語ネイティブがたくさんいるので(当たり前ですね)、独学感は感じず、なんやかんや楽しく勉強していました。

 

おかげさまで、韓国語に関しては「できます」と公表できるレベルになったという次第です。

 

その後も、いろいろありまして、私はすっかり韓国が好きになり、日本語教師から転職までして、楽しい仕事もして、なんだかんだと5年滞在して帰国しました。

 

帰国して間もないころは、東京暮らしだったので、韓国語を使ってバリバリ仕事していました。

 

でも、結婚後の田舎暮らしで韓国語を使ったお仕事からは遠ざかってしまいました。

 

が、ですよ、いま、こうして田舎でまた、ほそぼそと地味ながらも韓国語を教える仕事ができています!

 

夫はこの状況を見て「ほんとうに、『芸は身を助く』やね」と、私の「韓国語ができる能力」を「一芸」として認めてくれています。

 

「せっかく、韓国にいるなら、韓国語マスターしないともったいなくない?」って思った若かりし頃の私のの直観がこんな風につながるなんて、人生本当に何が起こるか分かりません。