↑ 後編の上(前回の話)へ。

 

 ――■■■■■■!!

 

「――――」

 

 ふと、人間らしからぬ声が耳を突き、横目で声の聞こえた方を見てみると、先ほどまで『メガドラモン』という種族の特徴を有しながらも人間に近しい体躯で戦っていたはずの電脳力者が、女墜天使と同じく紫色の靄のようなものを噴出させながら――辛うじて人型と呼べていた姿形を捨て去っているのが見えた。

 その目に宿った色を見ても、理性が保っているようには到底見えない。

 まさしく『図鑑』が語る通りの暗黒竜がそこにいた。

 恐らくあの在り様も、バルバモンの電脳力者から与えてもらった闇の力の影響だろうが、

 

(……あそこまでデジモンに近い形に、自らを変えることが出来ている、だと……!?)

 

 それにしたって人間をやめ過ぎている、と。

 縁芽苦朗もまた、牙絡雑賀と同じ疑問を抱いていた。

 電脳力者に関係する事柄に長らく関わってきた彼からしても、あれほどの変容は今まで見た事が無かったのだ。

 

 なんとなく。

 リヴァイアモンの電脳力者をどうするか、なんて場合では無い、それ以上に見落としてはならない重大な何かが起きているような、そんな悪寒があった。

 が、そんな事はどうでもいいとでも言わんばかりに、女墜天使はこんな言葉を漏らす。

 

「――あァ、五月蝿いわね……どいつもこいつも本当にイラつくわ……!!」

 

 その言葉に含まれる感情は、まさしく憎悪一色。

 魔王だろうが何だろうが、自分の思い通りにならないものを消し去りたいという、残虐性の表れ。

 とにかくまずはこの場を処理しなければならない――と、そこまで考えた所で、苦朗は自らの体が思うように動かしづらくなっている事に気付いた。

 呪いの銃弾を受けて、体が石化しかかっているというわけでは無い。

 動かせはするが、全身にギブスでも取り付けたように動きそのものを抑制されている感覚があったのだ。

 目下、最も原因と推測出来るものは一つ。

 

(あの使い魔の能力か……)

 

 石化の呪いに加えて、金縛りの呪い。

 動きを制限させ、確実に仕留める布陣もここまで徹底されるといっそ関心するが、猛毒に犯されている身としてはやはり笑えない。

 片方だけならまだしも、二つの呪いを同時に受けてしまえば致命的な隙を晒すことになるだろう、と魔王は自らの能力を過信せず判断する。

 動きが鈍くなったその間を逃さずに、変容した女墜天使がその左腕を一度苦朗に向けて突き出すと、巨大な爪の武装は女墜天使の傍を離れ魔王目掛けて突っ込んでくる。

 どうやら爪の武装は女墜天使の左腕の動きと連動しているらしく、女墜天使が左腕を乱雑に動かすと、爪の武装もまた乱雑な軌道でもって苦朗の体を切り裂きにかかってきていた。

 どうにか二刀で捌きこそ出来ているが、流石に成熟期デジモンの武器で何の対策も無しに完全体デジモンの武装と打ち合うのは無理があるらしく、刀は少しずつ欠け始めていた。

 

「――死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ、死ねェッ!!!!!」

(……チッ、マトモに相手してもらちが明かないな……)

 

 前方の狂爪、後方の魔弾。

 魔王としての能力を存分に発揮出来る状態ならまだしも、発揮するわけにはいかない状況ともなれば捌き続けるだけでも精一杯となる。

 その上、敵はこの二体だけではない。

 衝動のままに兵器を放ちまくっている機竜の電脳力者もまた、苦朗からすれば無視するわけにはいかない存在だ。

 もし、体躯の巨大化に伴って放たれるミサイルの破壊力も上がっているのならば、ただの一発でも都市の方へ撃ち込まれてしまったら最後、民間人にいったいどれだけの被害が出るか。

 対峙している牙絡雑賀の方もそれは理解しているらしく、ミサイルを放つ鋼腕が廃墟から都市圏の方へ向けられないよう人気の無い方角に動き続けることで狙いを絞らせているようだが、状況が好転する兆しも無い。

 仮にリヴァイアモンの電脳力者の件が無かったとしても、これ以上戦いに時間をかけるわけにはいかなかった。

 

(ならば)

「フンッ!!」

 

 狂爪と打ち合う二刀を、それを収める二つの鞘を咄嗟に投げ放つと同時、六枚の翼を動かし地上に向けて頭から急降下していく。

 

「うざいッ!!」

 

 無論、女墜天使は狂乱しながらも反応し、投げ放たれた二本の刀と鞘を爪の武装によって切り裂き飛沫と化していく。

 怠惰の魔王の腕力という支えさえ無ければ、所詮は成熟期の武器ということだろうー―完全体のデジモンの必殺の一撃で簡単に消し去れる程度の強度しか無い。

 より増した殺意のままに女墜天使が追撃に動き、対照的に『フェレスモン』の電脳力者はあくまでも冷静に呪いの魔弾の狙いを補正していく。

 そして地上――の廃墟の屋上の一つに向かって急降下した苦朗は、

 

「雑賀!!」

「!!」

 

 メガドラモンの電脳力者の殺意を一身に引き受けていた魔獣に向けて、声を放った。

 それだけで意図は伝わったらしい。

 魔獣は自らを追い立てて来る機竜ではなく、苦朗を追い詰めようとする墜天使に対してその視線を向けて。

 魔王は、翼を僅かに動かす事で降下の軌道を魔獣を追い立てる機竜に重なるように補正して。

 そして、

 

「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――」

「――ヘルファイアー!!」

「――ヴォルケーノストライクS!!」

 

 二つの獣口から、魔王に追従する『学習ノート』から、二人の視線の先にある『敵』に向けて色こと異なれど膨大な熱を含んだ火炎が解き放たれる。

 

「――チィッ!!」

「――っ!!」

 

 女墜天使は爪の武装でもって炎を両断し、貴公子は体をひねって回避をすることが出来たが、機竜は回避などせずに真正面から火炎弾に直撃する。

 当然のように悲鳴が上がるが、竜の肉体に目立った損傷は無い。

 炎そのものが、紫色の靄のようなもの――バルバモンが分け与えた『力』に相殺されているように苦朗には見えた。

 

「――グルルルルルルルッ!!」

(……やれやれ、憎悪一つでここまで力が跳ね上がるとはな……)

 

 空中で軽く体を回し、縁芽苦朗は廃墟の上に両脚をつけて着地をする。

 ちょうど、女墜天使と貴公子を再び牽制した牙絡雑賀と背中合わせとなる位置だった。

 

 彼等はそれぞれ理解している。

 それまで相対していた敵と戦い続けるだけでは、この状況を打開出来ないと。

 殺意のまま、考え無しとさえ呼べる早さで襲いかかってくる敵を前に、作戦会議などやっていられる暇は無い。

 

 そして必要も無い。

 理解が前提にある以上、言葉など一つで事足りる。

 

「やれるか」

「そっちこそ」

 

 それだけで十分だった。

 怠惰の魔王の電脳力者はその標的を『メガドラモン』へと変更し、魔獣の電脳力者もまた標的を女墜天使と貴公子の方へと変える。

 敵にとってもまた、攻撃を受けたことが切っ掛けにはなったのだろう。

 殆ど憎悪に身を任せている女墜天使はその標的を魔獣砲へと変え、同じような状態にある『メガドラモン』の電脳力者の矛先もまた、簡単に魔獣から魔王の方へと切り替わっていた。

 目の前の存在が魔王の力を内包していることなど些事だと言わんばかりに鋼爪を向け、咆哮と共にミサイルを連射してくるのを見て、縁芽苦朗は右手の上に新たに二冊目の『学習ノート』を出現させる。

 その意思に添うように勝手にページがめくられ、幾多の文字が浮かび上がり、超常が顔を出す。

 

「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――サンダークラウド」

 

 成熟期魔人型デジモン『ウィザーモン』の操る魔法の雷撃が、魔王の前方で網のように広がりを見せる。

 機竜の放った数多の有機生体ミサイルは雷撃の網に絡め獲られ、感電し爆発し炎と煙を撒き散らす。

 

「■■■■■■■■ッ!!」

(――やれやれ、こっちもこっちで最早闘牛の類だな)

 

 その結果を見ても安心など出来るわけが無く、間髪入れずに爆煙を突き抜けて機竜が力任せに鋼爪を振り下ろしてくる。

 当然のように、苦朗は怯まなかった。

 瞬間的に機竜の懐に向かって跳躍し、逆に機竜の胴部目掛けて右の肘を打ち据える。

 グォリィッ!! と肉が骨を打つ音が高く響くと同時、機竜の肉体が後方へと圧され仰け反る。

 流石に究極体デジモンの身体能力に基づいた一撃は女墜天使同様に効いているらしく、機竜の喉の奥から血を含んだ吐瀉物が反射的に吐き出されるが、ダメージはそれだけだ。

 むしろ、闇の力の象徴と思わしき体を覆う紫色の靄がその規模を増しているようにさえ見える。

 この調子だと一撃受ける度に――最悪、一撃避ける度にも――機竜の怒りは増し、それに伴ってバルバモンの電脳力者から与えられた闇の力が増大し、余計にしぶとくなっていくことだろう。

 一撃必殺を求めるのならば、やはり『ワイズモン』の力で攻撃するのではなく、魔王『ベルフェモン』としての力を本格的に用いる他に無いが、それは今となっては自分自身が戦闘不能となる可能性も視野に入れなければならない選択肢。

 

「……ぐぅっ……」

(……あの女の格好が変化してから、体の痛みがどんどん増している。バルバモンの闇の力に『ブワゾン』の毒が、あるいは同じく魔王として在る俺自身が、共鳴してしまっているのか? 今のままだと、必殺技は一回使うのが限度と見ておくべきか……)

 

 自らの状況を知覚し、分析し、そうして苦朗は一つの回答を得る。

 

(……チャンスは、作れて一度……)

 

 そして。

 

「があああああああああああっ!!」

「はあああああああああああっ!!」

 

 魔獣と女墜天使の攻防は、初撃から熾烈を極めていた。

 両腕の獣口からの炎の噴射によってひたすらに女墜天使に肉薄する魔獣は、その両脚から生えた鉤爪を半ばがむしゃらに振るい、女墜天使もまたその左腕から生じている巨大な爪の武装を振るう事で鉤爪による連撃に対抗する。

 息つく暇など互いに無く、そもそも与える気も無い。

 女墜天使は、眼前の魔獣を殺したい気持ちで頭の中がいっぱいになっていて。

 魔獣は、縁芽苦朗が自分に目の前の敵を任せたその意味に、思わず背中を押されていたから。

 

 今になって、いくら『怠惰』の大罪を宿す魔王の力を使っているとはいえ、縁芽苦朗が面倒臭さを理由に戦う相手を変えるなどと牙絡雑賀は考えない。

 必ず理由は存在し、こうする事が打開に繋がると思ったからこそ彼は相手を変えた。

 それが解るからこそ、魔獣は攻撃を止めない。

 女墜天使を倒す、その一心で力を尽くそうとする。

 だが、

 

「邪魔よおッ!!」

「ぐ、おらぁっ!!」

 

 おそらくはバルバモンから与えられた力の影響。

 そして、魔獣自身の体力の限界が近付いているその弊害だろう。

 魔獣が振るう両脚の爪の威力よりも、憎悪に身を任せた女墜天使の左腕の先にある武装の威力の方が、上回っている。

 故に、魔獣の体は女墜天使の凶爪によって弾かれ、間合いが開く。

 間合いが開いたという事は、用いるべき手も互いに変わるということ。

 間髪入れずに女墜天使は魔獣目掛けて無数の暗黒の飛翔物を飛ばし、魔獣はバランスを崩しながらも両手のの獣口から火炎を放ち対抗しようとする。

 

「――っ!?」

 

 と、直後に魔獣の背筋を悪寒が奔り、魔獣は左手の獣口を無造作に振るった。

 すると何かが獣口の装甲に弾かれる固い音が響き、見れば魔獣が左手を振るった方向には『フェレスモン』の電脳力者がライフル銃の銃口を向けてきていた。

 どうやら弱い方を先に潰せばいいとでも考えたのか、ここにきて縁芽苦朗ではなく雑賀に向けて呪いの銃弾を放ってきたらしい。

 装甲に覆われた部位で弾けていなければ、下手をすると石化の呪いに体を蝕まれていたかもしれない――が、対抗の対価として元々空中で体勢を崩されていた魔獣の体勢は更に崩れることになり、女墜天使の方へ狙いを定めていた獣口がその向きを変える。

 結果、放たれた緑色の火炎は女墜天使どころか暗黒の飛翔物にさえ当たることなく、見当違いの空間を過ぎ去るに終わる。

 そして、蝙蝠の群れが如き暗黒の飛翔物が魔獣の体に喰らいついてきた。

 

「ぐがああああああああああっ!!」

 

 想像を絶するほどの痛みがあった。

 体を覆う硬質な生体外殻越しでさえ覚える灼熱、骨肉を焼き焦がす暗黒の熱量。

 それは『バルバモン』の力を付与されている事も相まってか、地獄の番犬たる『ケルベロモン』の力を身に宿してなお、牙絡雑賀を絶叫させるに足るだけの害悪を含んでいた。

 

「ぐ……くそっ……!!」

 

 意識が煮え、視界が揺れる。

 推力となる炎を絶やさず、歯を食いしばって耐える魔獣だったが、当然敵は待ったりしなかった。

 女墜天使はその大きな爪を振りかぶりながら魔獣に迫り、貴公子もまた女墜天使とは違う方向から魔獣に接近して銃の狙いを定めていく。

 

「死ぃねえええええええええええええッ!!!!!」

「!!」

 

 先と同じ攻撃内容、元よりどちらか片方しか捌けなかった状況。

 どちらの攻撃も受けるわけにはいかないと解っていても、敵の位置を両腕の獣口から声なき声で伝達されていても、元より空中で自由の利かない魔獣の身一つでは二体の怪物に対応しきれるわけが無い。 

 だから。

 

 

「■■■■■■■■ッ!!」

「――ふっ!!」

 

 

 打開の一手は、その共闘相手こそが握っていた。

 彼が行った行動は、言葉にしてみればシンプルなものだった。

 機竜『メガドラモン』そのものと言っても差し支えの無い姿となった電脳力者、その鋼の両腕から発射された巨大な有機体系ミサイルを、

 

「――受け、取れぇ!!!!!」

 

 右の手と鎖で掴み取り、そのままブン投げたのだ。

 今まさに、死角から魔獣を呪いの弾丸で石化させようとしていた『フェレスモン』の電脳力者に向かって。

 僅かな力加減を誤れば、いやそうでなくとも掴み取ったその時点で起爆していて当たり前の兵器を、まるでキャッチボールでもするかのように。

 

「なっ――」

 

 正確な投擲だった。

 同時に、誰も予想だにしなかった手段だった。

 貴公子が苦朗の叫びを聞き取り振り向いたその時には、既にミサイルは彼の目の前にあって。

 

「――ぐっ、おおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 気付いた時には遅すぎた。

 投げ放たれたミサイルは貴公子の背中に命中し、起爆――貴公子の体を遠くへと吹っ飛ばしていく。

 無論、他の二体と同じく『バルバモン』の電脳力者から力を付与されている可能性が高い以上、これだけで死に至ることは無いだろうことはミサイルを投げ放った縁芽苦朗自身も察しがついていた。

 故にそれは、敵を仕留めるための行動ではなく、

 

「――受け、取ったあっ!!」

 

 絶対絶命の状況に陥られていた魔獣に、反撃の機会を与えるための行動に他ならない。

 魔獣は両腕の獣口から炎を噴出させ、咆哮と共に魔王の言葉に応じる。

 どの方向に向かって避けるべきか、などいちいち考えない。

 女墜天使の有する巨大な爪の武装、その脅威から逃れ次の手を考える――などと回り道をするつもりはもう無い。

 直感しているのだ。

 これが、魔王に与えてもらったこの状況こそが、今の自分にとっての最後の勝機であると。

 今この瞬間!! 勝つために取るべき行動は一つしか無いと!!

 

「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「ッ!!」

 

 即ち、直進。

 自らに向かって突っ込んで来る女墜天使に対し、同じく真正面から仕掛けるという一手。

 恐らく、女墜天使が予想だにしていなかった選択肢。

 事実、真正面から突っ込んできた魔獣に対し、女墜天使は戸惑いを覚えてしまった。

 振りかぶった爪の武装、それを振るう絶好のタイミングを僅かに遅らせてしまった。

 そして、その僅かな誤差こそが結果を変える。

 炎の噴射によってロケットのように加速した魔獣は、直後に炎の噴射を止め、慣性に身を任せたまま両腕の獣口を前方に構える。

 剥き出しの牙、開きっぱなしの顎。

 人間の頭蓋など容易く丸呑みに出来る規模はあろう二つの獣口は、魔獣が女墜天使に肉薄すると同時――振り下ろさんとした爪の武装と女墜天使自身の胴部にそれぞれ喰らいつく。

 

「ぎっ、アアアアアアアアアアアアア!?」

 

 絶叫。

 文字通り獣の大顎に喰らい付かれている状態となった爪の武装は微弱にしか動かず、牙を胴部に食い込まされた女墜天使自身はその咬合力と激痛に耐え切れないと言わんばかりに悲鳴を響かせた。

 半ば圧し掛かる形になったことで魔獣の体重が加わり、浮力を維持出来なくなった女墜天使の体が落下をはじめる。

 やった、と内心に呟きがあった。

 この状況から巻き返されることは無い、最悪このまま地面に激突させてしまえば確実に戦闘不能に出来る、と。

 だが、甘かった。

 彼が喰らいついた怪物は、この程度で戦う力を損なう存在では無かった。

 

「舐めるんじゃ……ないわよォッ!!」

「な――っ!?」

 

 獣口に胴体を喰らいつかれ、もうマトモに身動きも取れないはずの女墜天使の口から、怒号が響いた直後のことだった。

 女墜天使の右腕から伸びていた真っ黒な鎖が、突如として魔獣の胴体に巻きつき――そのまま体の中へ沈み込んだのだ。

 直後に、

 

「――グレイエム!!」

「ガア……ッ!?」

 

 激痛。

 体を構成する数多の細胞が爆発でも起こしたかのような、臓器や血管を串刺しにでもされているかのような、圧倒的な痛みの奔流が脳髄を駆け上がる。

 牙絡雑賀の知る『レディーデビモン』というデジモンには、およそ存在した覚えの無い攻撃手段だった。

 喉の奥から多量の血が吹き出る。 

 頭の上に見える使い魔の力なのか、体を動かすための力が損なわれているのが嫌でも解る。

 消耗が許容量を超え、思考がまとまらず、意識が明滅していく。

 そんな中――至近距離で吐き捨てるような怒号が聞こえた。

 

「――死ね!! さっさと死になさい!! 目障りなのよッ!!」

「――っ――」

「リヴァイアモンの力は私達が手に入れる。アンタ達はその邪魔をした。だから死んで当たり前なのよ、地獄に墜ちて当然なのよ!! だからさっさと墜ちやがれッ!!」

 

 言葉が紡がれる度に痛みが増した。

 体の中で破壊が巻き起こっているのが解る。

 同時に、魔獣の中に沸き立つものが生じていく。

 

(――そうだ。こいつ等は敵だ。司弩蒼矢の力を狙って、そのために邪魔者である苦朗や俺を殺すつもりで、こうして殺すためにデジモンの力を使っている――)

 

 もしかしたら、無意識の内に躊躇してしまっていたのかもしれない。

 どんなに言い訳をしたところで、目の前の存在が元は自分と同じ人間である事に変わりはないから。

 怪物の力で強くなっているからある程度は大丈夫などと自らに言い聞かせる事で、戦いに対する迷いを打ち消そうとしていただけで。

 超えてはならない一線というものがある意識は、常にあった。

 それが自分自身に対する甘えである事を、今更のように思い知る。

 

(――放っておいたら、こいつ等は勇輝を攫った奴等と同じように好き放題する。色んな奴を、暴力で苦しませる――)

 

 夜中の病院の中で、縁芽苦朗からも伝えられていた事だ。

 ただの人間では、デジモンの力を我が物とする電脳力者に抗う事なんて出来ない。

 人間であろうとする限り、怪物の理不尽から何かを守ることなど出来ない。

 

(――大切な当たり前を、壊す――)

 

 であれば。

 どうするべきか。

 そんな事はもう明らかだった。

 

(――なら――)

「――そんなに地獄が好きだというなら、お前達だけで、勝手に行ってろッ!!」

「ふざけ――グアッ!?」

 

 体中を駆け巡る痛みを無視し、女墜天使の胴体に喰らいつく左の獣口に力を込める。

 肋骨が軋みを上げ、骨肉の悲鳴が魔獣の耳に届くが、こんなものはあくまでも前準備に過ぎない。

 喰らう、だけで留める気などもう無い。

 この怪物は、この墜天使は、この害悪は、今ここで確実に――仕留めるべきだと、魔獣は決断した。

 胴体に噛み付く左の獣口、その口内に緑色の炎が瞬く間に蓄積される。

 その熱に、女墜天使は今更のように恐怖という感情を思い出したが、

 

「や、やめ――!!」

 

 一度下された決断は、もはや覆りようも無く。

 地獄の番犬と称された怪物は、その種に刻まれた必殺の言霊を解き放った。

 

 

 

「――インフェルノディバイド!!」

 

 

 

 言霊と共に魔獣が放った攻撃は、実にシンプルなものだった。

 胴体に噛み付かせた左の獣口から、そのまま地獄の業火を弾の形で解き放ったのだ。

 それも――何発も何発も、さながら機関銃の連射の如く。

 炎弾が一発一発放たれるごとに、女墜天使の体が緑色に燃え上がっていく。

 まるで、その存在の全てを喰らいつくさんとでも言うように。

 叫びも怒りも抵抗も何もかも――その全ては爆炎と牙によって無為と化す。

 黒き衣も死人のような白い肌もそれ以外も何もかも、ぱらぱらとしたものへと変じていって。

 そして、

 

「ガアアアアアアアアアアアアアーッ!!!!!」

 

 魔獣が咆哮すると同時、胴体に噛み付いていた獣口が――完全に閉じる。

 バキリ、と枯れ木を折るような音が空しく響き、女墜天使の肉体が上下に砕ける。

 魔獣が片膝をついて廃墟の上に着地をした頃には、全てが灰となって何処かへと消えていた。

 

 

 

 そして。

 その事実は目撃こそせずとも、魔王も体の感覚で認識していた。

 

(――痛み自体はあるが、やはり奴が死んだ事で『ブワゾン』の効力は消えたようだな。ならば――)

「終わらせる」

 

 元より。

 縁芽苦朗が『メガドラモン』の電脳力者を含め、完全体のデジモンの力を振るう電脳力者達に遅れを取っていた理由は、その本来の力を発揮することに対してリスクを付随させられていたからだった。

 たった一度『ベルフェモン』としての力を行使しただけで、体内の猛毒が活性化し命を奪われる、そんなリスクを。

 

「事象摘出《ダイアログ》、物象再現《ダウンロード》」

 

 そしてたった今、猛毒を行使した張本人たる女墜天使が死んだことによってリスクは消え去った。

 であれば、もはや今の彼に枷は無し。

 つまる所、今回の戦いはそういうものだった。

 彼が存分に力を発揮出来る状況さえ整えば、敗北してしまう事のほうが難しい戦い。

 

「■■■■■■■■ッ!!」

「スパイダースレッド――」

 

 言霊を紡いだ直後、魔王の手の上にあった『学習ノート』のページの一つから数多の赤い糸のようなものが噴出し、本能のままに鋼爪を振るわんと迫る『メガドラモン』の電脳力者を取り囲んでいく。

 

 

「――エンチャット・ランプランツス」

 

 直後の事だった。

 機竜の周囲に展開された赤い糸に、黒い色の炎が薄く纏わり付いていく。

 血の如き赤は漆黒の黒に染まり、その攻撃性もまた本来のそれより高く引き上げられる。

 そして、縁芽苦朗はその右手を機竜に向かって翳し、

 

「消えろ」

 

 一息に握り締めた。

 その意に添うように周囲の黒い線の全てが『メガドラモン』の電脳力者に殺到する。

 巻き付くとか締め上げるとか、そんなレベルでは済まなかった。

 そもそもの話、最初に放った赤い糸のようなもの――ワイヤーは、敵対者を切り刻むためにとある完全体デジモンが用いるものであり。

 それに『ベルフェモン』の力を付与した以上、齎される結果は明白で。

 たとえ『バルバモン』の電脳力者から力を付与されていようが、関係無かった。

 

 機竜の全身を数多の黒い線が通り抜ける。

 骨肉を絶つ音が響き渡った時には機竜の体は声を上げる間も無く細切れになり、残った残骸もまた黒い炎が覆っていく。

 もはや消え行くしか無い怪物の末路を前に、魔王は目を細めて内心で呟いた。

 

 

 

(……やはり、この変わり様も織り込み済みなのか? 『シナリオライター』は……)