新たな進化、不確定要素の追加。
その事実によって齎される優劣の変化を、怠惰の魔王を宿す男――縁芽苦朗を仕留めるために攻撃を仕掛けていたメガドラモンの電脳力者、レディーデビモンの電脳力者、そしてフェレスモンの電脳力者はそれぞれ計算していた。
元々、彼等は七大魔王たる『ベルフェモン』の力を宿す縁芽苦朗一人との交戦を想定して『組織』のメンバーの中から選出された者たちだった。
空中戦が出来ることは当然、情報通りであれば致命傷を負ったらしい縁芽苦朗を捕縛する、それが出来ずとも別働隊が『リヴァイアモン』の電脳力者を仲間に引き入れるまでの間、十分な足止めが出来るだけの能力を有した戦闘要員。
牙絡雑賀という不確定要素こそあれど、彼等が介入を開始したその時点でそれはむしろ縁芽苦朗にとっての枷となるものでしかなくなっていて、彼等にとってそれは都合の良い要素でしか無かった。
事実として、彼等は鎖に巻かれた牙絡雑賀を巻き込むように攻撃を仕掛ける事によって、確かに縁芽苦朗を追い詰めることが出来たのだから。
(――イイ感じに攻めきれる所だったのに……)
縁芽苦朗という男が、不要な破壊行為を好まない性格をしていることは事前に知らされている。
魔王の力に任せた大規模な広範囲攻撃などは、体調の良し悪しに関わらずあまり使うことが無く。
ベルフェモンという魔王――にかつて進化した個体――のデータが思考にどれだけの影響を及ぼしているかどうかはともかく、少なくとも縁芽苦朗という人間は、自らの力によって予期せぬ被害を齎すことを好しとしないと。
故に、損耗の度合いから考えても、彼等の優位が崩される可能性は低いと考えられた。
手間取っている間に目的が達成されれば、自分達の勝利は揺るがないと、そう思っていた。
牙絡雑賀が電脳力者として地獄の番犬――『ケルベロモン』の力を覚醒させた、その時までは。
(――チィッ、あと少しで仕留められた所を……この犬っコロ……!!)
この状況において、戦力が一人増える事に対する意義は大きい。
先の同時攻撃を一掃してみせた火炎放射の存在を考えても、近距離にしろ遠距離にしろ仕掛けることが容易ではなくなったことは間違い無いのだから。
彼等の主な役割は時間稼ぎであり、それを果たすためには攻撃を仕掛け続けることで『無視出来ない』状態を作り出す必要がある。
それ自体は難しい話ではない――これまで通り、基本は飛び道具で牽制し続ければ良いのだから。
だが一方で、ここまで追い詰めておきながら時間稼ぎだけで済ませてしまうほど、役割と目的をお行儀よく遂行してやれるほど、彼等は欲が浅くも無かった。
致命傷を受けているはずの縁芽苦朗を殺し、その邪魔をしようとする苛立たしい端役も殺す。
そのつもりで動くと既に心に決めている。
(……あたし達と同じ、完全体クラスの種族の力。スペックの面では侮れないだろうけど、ケルベロモンは見た目通り、空を飛べる種族では無い。いくらあたし達の攻撃をかき消すことが出来るとしても、あたし達を直接仕留めることは難しいはず)
空を飛べぬ身で、されど空飛ぶ者たちに嚙みつかんと下手に跳び出しに来れば、そこにはただただ身動きの取れない無防備な犬畜生がいるだけだ。
先の展開から考えても縁芽苦朗が庇おうと動くだろうが、それはそれで優位な状況に持ち込む余地となりえる。
そもそもの話として牙絡雑賀が、他ならぬ苦朗の手で消耗させられていた事は彼等も目撃していた。
より強い力に覚醒したからと言って、体力まで回復しているはずが無く。
性能で劣る身であっても、優位性が崩れることは無い。
とにかく空中から一方的に、それでいて複数の角度から攻撃を仕掛け続ければ、いずれ相手の方からボロを出す――そんな確信があった。
「ダークネスウェーブ!!」
「ジェノサイドアタック!!」
だから、安定択を取って飛び道具を継続して放つ事にした彼等には、魔獣と化した牙絡雑賀の次の行動を予想することなど出来なかった。
彼は火炎を吐き出す両腕の獣頭――のように見える機械染みた何か――を飛び道具の方へと向ける事すらせず、自らの足元に向かってそれを押し付けると、
「行くぞ!!」
掛け声と同時に、雑賀の足元が爆発し、彼の体がさながらロケットのような勢いを伴って勢いよく上方へカッ飛んだのだ。
見れば、雑賀の両手の獣頭から火炎が吹き出ている――どうやら彼は、火炎放射機として扱える両手の獣頭をある種の推進機とする事で、体を飛ばしているらしい。
本来の『ケルベロモン』という種族では考えられない、いや考えられたとしても到底無理のある方法。
それを可能としたこと自体が、あるいは人間の体を軸とした別物である証明なのか。
自らに向かって降り注ぐ凶器の雨、その外に出るように空へ飛び出した異形の魔獣は自らを浮かす獣頭の角度を僅かに変え、すぐさま方向転換――自らに攻撃を仕掛けたメガドラモンの電脳力者とレディーデビモンの電脳力者の方へ突撃しにかかる。
後方へ火炎を噴出させながら飛来するその様は、ロケットというよりミサイルの類だ。
どうやって仕掛けるつもりかどうかは知らないが、近付けさせて良い事は無い――そう判断した機竜が再びミサイルを両腕から多量に発射して魔獣を撃墜しようとするが、
「――おおおおッ!!」
「何ッ!?」
直進の最中に魔獣は体をひねると、そのまま小規模に火炎を噴き出す事で反動を生じさせ、上下左右に軌道を変えていく。
空中を飛ぶというよりは、跳ねているとでも言わんばかりの挙動でもって自らに向かい来るミサイルの雨を掻い潜り、その勢いのまま機竜の眼前へと迫り。
そして、別の建造物の屋上に移動することで放たれた飛び道具を回避していた縁芽苦朗もまた、即座に別の角度から二体の電脳力者に肉薄しにかかる。
その軌道を遮るようにして遠方よりフェレスモンの電脳力者がその手に携えたライフルから弾丸を何発か放ってくるが、弾丸が空を切った頃には既に魔王が墜天使との間合いを詰めている。
回避は間に合わない――そう判断した墜天使は強く舌打ちし、
「死に体の分際で!!」
そうして二つの衝突が起きた。
魔獣はさながらサッカーのオーバーヘッドキックでもするように機竜の顔面目掛けて右脚に備わった鉤爪を振り下ろし、機竜もまた両腕の鋼爪を交差させて鉤爪の一撃を真っ向から迎え撃つ。
「――サーベラスイレイズ!!」
「――アルティメットスライサー!!」
グァギィン!! と。
金属と金属が打ち合い、互いを抉り合う耳障りな音が響き渡る。
片や両腕による、片や片足による一撃。
翼を有している点から考えても、メガドラモンの電脳力者の優位は明白であるはずだった。
だが拮抗する。
姿勢を支えるものなど無いにも関わらず、魔獣の膂力は機竜の機械の腕力を抑え留め――直後に、双方共に弾き飛ばされる。
「ガァッ……!!」
「グルゥ……ッ!!」
互いに一撃の威力に圧され、唸り声と共に向けられる眼差しはまさしく怪物のそれ。
互いを敵だと断定しているからこそ遠慮は無く、言葉を交える瞬間があるとすればそれは無知を埋めるためのものか、そうでなければ大抵の場合、
「ヘルファイアー!!」
「ジェノサイドアタック!!」
相手を倒すための、必殺技と言う名の言霊を吐き出す瞬間ぐらいだろう。
互いの攻撃の威力に弾き飛ばされると同時、魔獣と機竜は共に自らの放てる飛び道具を打ち出していた。
魔獣は左腕の獣口から業火を、機竜は鋼鉄の腕からミサイルを。
撃ち出された業火とミサイルは真っ向からぶつかり合い、生じる爆発によって音と炎と黒煙とを撒き散らす。
爆炎によって遮られた視界に敵の姿は見えなくなり、迂闊に突っ込むわけにもいかずに様子見を余儀なくされる――かと思えば、魔獣は両腕の獣口から炎を噴出させ、爆炎と黒煙の向こう側目掛けて突っ込んでいく。
姿などロクに見えてはいないはずなのに、その視線は正確にメガドラモンの電脳力者の位置を捉えていた。
(今なら解る。生き物のニオイだけじゃあない。悪意ってヤツのニオイがよく解る……!!)
デジタルワールドの地獄を駆け回り、悪たるモノを逃がさないために発達した、番犬としての機能。
目に見えずとも、耳に聞こえずとも、その種に刻まれた感覚でもって訴える形で。
ケルベロモンと呼ばれたデジモンの力が、牙絡雑賀に敵の位置を知らせてくれているのだ。
「おおおおおおおおおおッ!!」
「!? チッ……!!」
獣口より噴出される火炎によって加速した魔獣の両脚が、それに備わった爪が、黒煙の向こう側から様子を伺っていた機竜の化け物を再び襲う。
まさか間髪入れずに攻め込んでくるとは考えていなかったのか、僅かに反応が遅れながらも機竜は翼を広げて後方へと飛びながら、両腕の鋼爪で防御体制を取る。
ガガガガガガガガガガッ!! と、蹴りの形で突き出される魔獣の鉤爪が機竜の鋼爪に傷を付けていく。
フィクション上の『設定』に曰く、ケルベロモンの四肢に生えている鉤爪は、最強の生体合金であるクロンデジゾイドでさえ純度の低いものであれば切断するに足る硬度を有しているという。
実際にもその通りなのであれば、人間と混ざり合ったような在り方機竜の両腕の鋼爪を傷付けることぐらい、造作も無いだろう。
だが、機竜もただただ攻め込まれるだけにはならない。
連続した攻撃の速度に慣れてきたのか、ただ防ぐだけには留まらず、魔獣の鉤爪を所々で見切れるようになってきている。
その適応力は人間としての才覚か、それともデジモンとしてのスペックに起因するものか。
どうあれ、結果として――直後に反撃があった。
連撃の隙間を突く形で、機竜の鋼爪が魔獣の胴体に向けて鋭く突き出されたのだ。
「オラァ!!」
「グウッ!?」
情報の話において、あらゆる物質を切り裂くことが出来る、とされる爪。
その一撃は確かに魔獣の全身を覆う黒き装甲を穿ち、苦悶の声と共に口から血を吐き出させた。
激痛のショックで両腕の獣口から噴出されていた炎が途切れ、一撃の威力に圧される形で魔獣の体が後方へと吹き飛ばされる。
強固な装甲に覆われているとはいえ、炎を用いた加速によって体重を乗せてしまった上で受けた一撃のダメージは決して少なくはなく、空中でバランスを崩した事も相まってその呼吸は乱れていく。
そもそもの話、彼も彼で消耗を重ねている状態だった。
今の姿に至る過程で|縁芽苦朗《ベルフェモン》から(必要最低限の範囲とはいえ)痛めつけられて体力を削がれ、現在は空飛ぶ敵に対抗するために必殺技に用いる火炎を推進機として常に放ち続けている。
人間が運動の際にエネルギーを消費するように、デジモンもまた必殺技を用いる際に何かを消費している。
本来、夏場のエアコンのように適当に使い放しにしてしまって良いものでは無いのだ。
火炎を放射させるごとに、その威力と時間に応じて必然的に消費は発生する。
対等の状態で追い詰めているように見えて、戦いの前提の時点で牙絡雑賀は追い詰められていた。
(く……そっ……!!)
どんどん、敵との距離が離れていく。
たった一撃で自分のことを仕留めた――などと楽観してくれるほど甘い敵では無い。
見れば、メガドラモンの電脳力者はレディーデビモンの電脳力者と交戦している縁芽苦朗の方へと視線を向けていた。
あくまでも、この戦闘において重要なのは究極体のデジモンの力を振るっている彼の方なのだ。
敵からすれば、雑賀のことなど放っておいて、魔王を集中攻撃して無力化させてしまいたいのだ――その目的からしても、最優先で。
本来であれば究極体――それも最上位クラスのデジモンの力を操っている縁芽苦朗が、進化の段階で劣る完全体のデジモンの力で襲い掛かってきている刺客を相手に苦戦することなど無いはずだが、彼は詳しい経緯を知らない雑賀から見ても不調な様子だった。
究極体のデジモンが、数で勝るとはいえ完全体のデジモンに苦戦してしまう状況――そんなものを見てしまうと、自分という人間が――此処に来ることで、どれだけ足を引っ張ってしまったのかを考えずにはいられない。
今この時に至るまでに、彼がどれだけの負担を背負ってきたのかを想わずにはいられない。
(負け、ねぇ……っ!!)
解ってはいる。
そもそもの話、縁芽苦朗がこの場にやって来たのは、嫉妬の魔王リヴァイアモンを宿すとされる司弩蒼矢のことを追って殺すためだった。
それを止めようと動いた自分の選択が間違っていた、などとは思わない。
でも、だけどだ。
何も、命の危機に瀕することで足を止めてほしい、などと考えたことは無かった。
かもしれない、に過ぎない可能性の話のためにあの入院患者を殺してしまうぐらいなら、いっそ死んでほしいだなんて思うわけも無い。
求めるものはただ一つ。
友達と馬鹿みたいに笑って明日を迎えられる、ありふれた日常だけだ。
(この程度で……こんな、程度で、諦めちまうのなら……)
両手の獣口が再び点火する。
それまでより強く、咆哮のように、より激しく。
(そもそもこんな世界に!! 首なんか突っ込まねえだろ牙絡雑賀!!)
「お前の相手は――」
魔獣はその身を敵対者である機竜の方に向かって飛翔させていく。
決して逃がすまいと、決してその脅威を他に向けさせはしないと、告げるように。
「この、俺だろうがああああああああああああああっ!!!!!」
無論、魔獣の動きを機竜は爆炎の音と方向によって知覚していた。
だからこそ即座に振り返り、動きを見切って迎撃をしようと考えた。
だが、
(――更に速くなりやがったッ!?)
その速度は、それまで機竜が目撃したそれよりも更に上がっていて。
振り向いた時には既に、魔獣の姿が眼前に迫って来ていて。
咄嗟に凶器の鋼爪を振るったが、それが魔獣の体を捉えることは無く。
隙を晒した機竜の下方から、右手の獣口を機竜の方へ、左手の獣口をその反対方向に向け――魔獣は再び火炎を放つ。
「ヘル!! ファイアアアァァァーッ!!」
「グ、オオオオオアアアアアッ!?」
至近距離から解き放たれた地獄の火炎。
それは機竜の電脳力者の体を瞬く間に焼き焦がし、意思に関係無く苦悶に染まった絶叫を響かせる。
並大抵の生命でさえば肉体を炭化させて焼死、そうでなくともショック死は免れないほどの熱量。
それを受けておいて原形を保ち、生命活動を維持している――その時点で異形の姿の根本たるメガドラモンというデジモンの頑丈さが見て取れるものだが、死なないからと言って苦痛の程度が抑えられているわけも無く。
(こい、つ……コイツコイツコイツゥゥゥッ!!!!!)
体以上に、その思考が一気に煮え上がっていた。
予定には無いイレギュラー、結果的に魔王の枷となっていた端役。
そんなモノが自分に牙を剥き、しつこく食い下がり、あまつさえ自分の力を上回る気でいる。
そのような現実を許容出来るほど彼の沸点は低くは無く、精神は容易く激昂へと至り、
(殺す……殺す殺す殺す絶対絶対ここでコロシテヤルッ!!!!!)
「ガァァァアアアアアアアアアアアアア!!」
野獣の咆哮という形で、その怒りは噴出した。
自らの体が焼かれている事実など気にも留めず、機竜は魔獣に向かって突撃してくる――地獄の業火を真っ向から突っ切る形で。
「ッ!?」
炎の奔流から逃れようとするならまだ解るが、まさか炎の中からそのまま襲い来るとは予想出来なかったのだろう。
自らの攻撃そのものが死角となってしまい、反応が遅れてしまった魔獣は機竜の鋼爪による一撃を側頭部へモロに受けてしまう。
歯を食いしばって耐え、両腕の獣口からの炎の噴出が途絶えることだけは阻止するが、機竜の攻撃はそこで終わらなかった。
その場で自らの体を縦に回転させ、炎の噴射によって空中に浮き続けている魔獣目掛けて長く太い尻尾を振り下ろしたのだ。
咄嗟に避けることなど出来るわけもなく、鈍く重い音が響き、魔獣の体が地上の廃墟目掛けて勢いよく墜落する。
「グゥッ……!!」
どうにか両脚で屋上に着地することは出来たが、鋼爪と尻尾による攻撃のダメージからか苦悶の声を漏らす雑賀。
痛がっている場合では無いと視線を機竜の方へと向けるが、そこで彼の表情に驚きの色が混じる。
「■■■■■■!!」
見れば、つい先ほど縁芽苦朗の方を狙おうとしていたはずの機竜は、明らかに雑賀の方に向かって来ていた――言語化不能の怒号を上げ、両腕の鋼爪から数多のミサイルを発射しながら。
素早く別の建造物に向かって跳躍することでミサイルの雨を回避し、すぐに振り返って機竜の姿を目視した魔獣は、そこで驚くべきものを目の当たりにする。
(――何だありゃ……)
注目がこちらの方へ向けられる、というだけなら望む所であり、驚くことは無かった。
それでも驚愕したのは、機竜の電脳力者の姿に明らかな『変化』が起きていたからだった。
即ち、
(……なんで、デカくなってやがるんだ……!?)
心なしか、機竜の体が少し大きくなっていた。
一般的な成人男性ほどの体格から、その五倍は越す巨体へと、その体積が増している。
しかもよく見れば、頭から尻尾にかけて殆どの部位が大きくなっている一方で、メガドラモンという種族に本来存在していない両脚の方は大きくなっておらず、むしろ大きくなった尾の中に埋もれたかのようにその姿を消していた。
まるで、最初からそのような形であったかのように。
人間の面影、とでも呼ぶべきものを取り除いた代わりに、宿しているデジモンにより近しい姿へと変わっているその事実に、雑賀の背筋に嫌なものが奔る。
その有り様に、一つ心当たりがあったのだ。
(……あんなの、まるであの時の司弩蒼矢じゃねぇか……!!)
そっくりだった。
かつて夜中のウォーターパークで戦った、シードラモンと呼ばれるデジモンの特徴を有した異形へと変じていた、あの男の姿に。
デジモンに近しい姿に変化した電脳力者の姿は、司弩蒼矢との戦いの後に乱入してきたオニスモンの電脳力者ことフレースヴェルグ、現在共闘しているベルフェモンの電脳力物である縁芽苦朗以外にも、裏路地の一件でチンピラの集団と交戦したことでそれなりに確認してきたが、総合的に見て一つの共通点が見受けられていた。
宿しているデジモンが本来持たない部位であろうと、基本的には誰も彼も人間と同じ骨格の手足を有している点だ。
デジモンという怪物の要素を含んでいようと、あくまでもその姿形は人型の域を出ないもので。
唯一、司弩蒼矢だけは腰から下が完全に尾の形を取り、片腕も丸ごと蛇のようになっていたが、それはあくまでも彼が片腕と片足を失った人間としては不完全な状態であったからだと考えられていた。
だが、目の前の敵の変化はその前提を崩すものだ。
両腕が鋼で形作られた三本爪になっていようと、辛うじて人型という形を維持していたその姿は――もはや、人の一文字が入り込む余地がほとんど無い竜の姿へと、変じていた。
ケルベロモンの電脳力者として魔獣と化している雑賀のことを見据えるその目には、人間らしい理性や知性の色を窺い知ることは出来ない。
見て解るのはただ、怪物らしい凶暴な面構えと殺意と、その全身から漏れ出ている紫色の靄のような何かぐらいで……。
(――ってオイ待て、何だアレは?)
それ以上の疑問を挟む余地は無かった。
正真正銘、暗黒竜とでも呼ぶべきカタチを成した電脳力者が、上方からその右腕を振りかぶりながら雑賀に迫る。
巨大な体躯に至りながらも鈍重さを感じさせないその猛威に、真っ向から打ち合うべきではないと即座に判断した雑賀が咄嗟に建造物の屋上から飛び退いた直後。
振り下ろされた機竜の右腕によって、一秒前に雑賀が立っていた建造物が真っ二つに割れて倒壊した。
一方で、縁芽苦朗もまた苦戦を強いられていた。
牙絡雑賀がメガドラモンの電脳力者に肉薄したのとほぼ同時、彼も彼でベルフェモンの力を宿した体の身体能力に任せて墜天使を撃破せんとしていた。
が、見れば両腕を組んで防御の姿勢に移っていた墜天使の纏う黒衣が、墜天使と魔王の間で大盾の形を成しており、およそ架空の物語では語られる事さえないその変容が、魔王の重く鋭い一撃を受け止めていた。
威力を殺しきれなかったのか、墜天使の体が大盾ごと後方へと押し出され、僅かに墜天使の口から苦悶の声が漏れたりしたが、その結果を見た魔王の表情は苦々しいものだった。
(――確かに、言う通りかもしれんな)
位にして上位に位置するとはいえ、所詮は完全体クラスのデジモンの力を引き出しているに過ぎない相手に、究極体――それも最高クラスのデジモンの身体能力を引き出しておきながら、その一撃を受け止めるという行為が成立している事実。
それは紛れもなく彼という魔王の現状を表すものだ。
今の彼は、咆哮一つで消し去れる程度の相手を一息に戦闘不能に出来ないほどに消耗している、と。
考えられる理由は、先に墜天使から指摘された事実に加えてもう一つ。
(ブワゾンの毒素が体内に残っている今、下手に力を使えば俺の体は内側から確実に蝕まれ死に近付いていく。ランプランツスもギフトオブダークネスもロクに使えないとなると、リヴァイアモンが覚醒した時、太刀打ちすることは難しくなるだろう)
相手の宿すエネルギーが強ければ強いほど、相手を確実完全に内より滅殺する闇の猛毒。
その影響は魔王の身を以ってしても容易に消し去れるものではなく、今もなお現在進行形で|縁芽苦朗《ベルフェモン》の体内を苛んでいた。
戦闘中でも無ければ影響が残らないように毒素を中和することは出来る自信があるが、ただでさえ狙われている今そんな余裕があるわけも無い。
猛毒の影響を強めないように、単純な身体能力で戦闘することぐらいしか今の彼に取れる安全策は無く、その肝心の身体能力も消耗に伴って衰えを見せている。
その事実は、当然ながら墜天使も知覚していることだった。
「フン……!! まだそれだけ動けるだなんてね。息をするだけでも辛いんじゃないかしら? マトモに戦うことも出来ないのなら、さっさと楽になればいいものを!!」
だから彼女は言っているのだ、力を十分に行使出来ない今の|縁芽苦朗《ベルフェモン》は実質的に死に体当然であり、これ以上抵抗しても無駄に終わると。
そもそも敵がこの墜天使と機竜と貴公子の三人だけとも限らない。
ここぞという場面で援軍が仕掛けにくる可能性だって十分に考えられる――それだけの戦力が無ければ別働隊など構築出来るわけが無いのだから。
が、
「なめるな、生ゴミ」
吐き棄てるような言葉の直後だった。
肉球のついた魔王の右手の上に、まるで最初から存在していたかのように――何の拍子も無く浮かび上がるものがあった。
薄く、あるいは厚く、幾つもの紙を金具で固定し束ねた、学生であれば誰でも持ちうるもの。
すなわち、
「なっ」
「――リヴァイアモンの電脳力者と対峙するより前に、消費したくは無かったが」
それは、一言で言えば『学習ノート』だった。
小学生や中学生、高校生や更には社会人までにさえ利用されている、学んだことを書き記すための道具。
縁芽苦朗という名の学生には関係があっても、ベルフェモンという名のデジモンには無縁の、まして戦いの場に持ち出すこと自体が論外の代物。
「もはや温存の余地など無い事も、また事実。まったくもって最悪だ。ツケは払ってもらうぞ?」
それを彼は、様々な命運の掛かったこの窮地に、さながら切り札を開示するかのような素振りで手の上に乗せたのだ。
まるで、それこそが自らの――自らに宿すデジモンの本当の武器であると知らしめるように。
見れば、知らぬ間に腰から足元までが赤錆色の袴のようなものに覆われていて、さながら古き世の侍、あるいは架空の存在でしかない魔法使いのそれを想起させる格好になっていた。
女墜天使、そして遠方より狙撃の体勢を維持している貴公子の電脳力者の怪訝な視線など気にも留めず、在り様を変えた魔王は言霊を告げる。
「――事象摘出《ダイアログ》、物象再現《ダウンロード》」
「っ!?」
言霊が紡がれたその直後だった。
パラパラパラパラ、と風向きを無視してひとりでに開かれた『学習ノート』のページ、そこに描かれた記号の羅列が闇色の光を放ち、0と1の数字の羅列を浮かび上がらせる。
それは瞬く間に色を宿し、形を伴った塊を成し――青い鞘に収められた同色の柄を有する二振りの刀となって実体を得て、縁芽苦朗の腰元に携えられる。
おおよそ『ベルフェモン』という種族が携えていた情報など無い、未知のもの。
だが、それよりも女墜天使の意識が向いたのは、たった今彼がとった行動そのものについての事。
(本を媒体とした、情報の実体化……それに今の単語。まさか……!!)
「……あなた、その能力は!!」
「…………」
(……この反応、力を得てそう長くは経っていないようだな。電脳力者の力の本質も理解していないその上で、このレベルの戦闘能力となると……)
返答は無かった。
魔王はあくまでも、冷徹に女墜天使の反応から素性を分析しており。
そして女墜天使の方もまた、未知の能力に危機感でも覚えたのか――僅かな時間、様子見を余儀なくされて。
ほんの僅かな油断と隙が命取りとなる、その認識がより強固なものになる。
故にこそ、先に仕掛ける側がどちらなのかは、決まりきっていた。
右腰に携えた刀の柄を左手で持ち、左腰に備えた刀の柄を右手で持ち、獲物を見据えて――魔王が沈黙を破る。
「ツバメ――」
「っ!?」
「――二枚返し」
直感に任せて女墜天使が体を後方へと動かし、黒衣の大盾を形作った直後に。
刀を握った手に力が込められ、凶器は振るわれる。
刀剣の軌道は見えず、速度は到底女墜天使に反応出来るものでは無かった。
ただ結果として、その左肩と胸元に浅い切り口が生じる。
咄嗟に回避しようと動いていなければ、左腕か首のどちらかは両断されていたであろう事は想像に難くなかった。
そして、先に仕掛けた側としての優位をそこで途絶えさせるほど縁芽苦朗は優しくない。
自らの攻撃が命に至らなかったことを認識すると、再び二本の刀を手に攻め立てに掛かる。
「――ィッ、この……っ!!」
女墜天使は刀による連続攻撃を、黒衣を変化させて形作った武具などによって受け止めながら、自らの予測に確信を得る。
実のところ、刀自体の鋭さ自体は大したものでは無く、女墜天使の黒衣で十分受け止められる程度のものでしか無かった。
女墜天使から見て、おそらく『勉強ノート』に記載された情報を媒体として実体化した二振りの刀、その原型となっているものは成熟期の鳥人型デジモンである『ブライモン』が持っているものだ。
だからその殺傷能力も、完全体デジモンであるレディーデビモンの扱う黒衣と比べて劣る程度にしかなく、だからこそベルフェモンとしての力を振るっているはずの縁芽苦朗の攻撃を『受け止める』という選択が成立している。
事実だけを見て考えれば、魔王の方が手加減しているようにも見えたかもしれない。
だが、実際の話としてそれは有効な手加減だった。
何しろ、今の縁芽苦朗の体は女墜天使の放った猛毒の影響で、強い力を行使すればするほど命を内より蝕まれるようになっているのだから。
行使する力が弱ければ弱いほど、猛毒の効力は強くなれない。
そしてそもそも、女墜天使の予想が正しければ、この行為に伴ったエネルギーの消費は殆ど存在しないのかもしれない。
これは現在の努力の成果ではなく、過去の努力の結果そのもの。
ただ単に、今より前の時間に存在していたものをタイムカプセルのように保存し、現在に取り出して利用しているだけなのだから。
次々と『学習ノート』のページはめくられる。
物象ではなく、今度は現象が摘出される。
「事象摘出《ダイアログ》、現象再現《アップロード》――シャドーウィング」
「っあ、ぐあああっ!!」
至近距離から、まるで銃口でも向けるように。
女墜天使の方に向けて開かれた『勉強ノート』のページから、見えざる力が解き放たれる。
恐るべき速度を宿したそれは女墜天使の体に命中すると同時に破裂、各部を切り刻みながらその体を強く吹き飛ばしていく。
シャドーウィング――それは『ガルダモン』と呼ばれる完全体鳥人型デジモンが有する必殺技の名だった。
超速で真空の刃を放つ事で敵を切り刻み、時に空気との摩擦熱によって炎の鳥と化すともされる技。
全く異なるデジモンの武器だけではなく、必殺技まで再現しているというその事実が女墜天使に確信を与える。
つまる所、
(コイツ、確実に『ワイズモン』の力も同時に使っている……!!)
インターネット上に記載されているデジモンの『図鑑』に曰く。
『本』を通じてあらゆる時間と空間に出現し、『本』が繋がる時空間のどこにでも姿形を変えて出没するため、本体は別次元に存在するのではないかと言われている摩訶不思議なデジモン。
両手に『時空石』と呼ばれるアイテムを持ち、その機能によってデジタルワールドのあらゆる事象や物象を時空間に保存しており、それによって時空間に保存していた敵の放った攻撃さえも手中に収めるとされる――らしい存在。
縁芽苦朗は、魔王ベルフェモンの力だけではなく間違い無くその種族――ワイズモンの力を行使している。
通常、デジモンは進化に伴って進化する以前に有していた能力や特徴を削ぎ落とす構造となっており、故にこそデジモンの力を行使して戦う|電脳力者《デューマン》もまた、成っている種族の力以外は行使出来ないのが自然であるはずなのに。
女墜天使はその疑問に対して正しい解を得ることが出来ない。
縁芽苦朗もまた、わざわざ戦闘中に敵対者に知恵を施すような愚行を犯しはしないだろう。
だから女墜天使はこう考えるしか無い。
徹底的に痛めつけて、魔王を宿す者としては死に体となるほどのダメージを与えておきながら、それでも――追い詰められているのは自分達の方であると。
認めるしか無いその現実に、女墜天使の苛立ちが膨らんでいく。
(ふざけんな……ふざけんな……っ!!)
あと一息で仕留められる所まで追い詰めたはずだった。
予定外のイレギュラーの存在もあったとはいえ、追う側であった時は間違い無く優勢だった。
どれだけ平静を装っていても、強者殺しの猛毒たる『ブワゾン』を傷口越しに注ぎ込まれた以上、縁芽苦朗の体はとっくに致命的に損壊しているはずで、こうして戦闘行為を継続出来ていること自体がおかしい事であるはずなのに。
究極体のデジモンの力など、満足に使えなくなっていて当たり前なのに。
女墜天使が苦し紛れに放つ暗黒の力の奔流も、遠方より貴公子の電脳力者が様々な角度から放っている呪いの銃弾も。
それぞれ避けられるか、あるいは二本の刀や『勉強ノート』から解き放たれる現象によってその身に届く前に処理されてしまう。
攻め手があと一つあれば防戦を強要させることも出来たかもしれないが、機竜メガドラモンの電脳力者は魔獣ケルベロモンの電脳力者の相手に手一杯で加勢には移れそうになかった。
それどころか、見れば機竜の電脳力者は魔獣の電脳力者が放った火炎によってその身を燃やされてしまっていた。
それだけでやられてしまうほどヤワな怪物では無いはずだが、仮に機竜が戦えなくなった場合、確実に魔獣の電脳力者は自分か貴公子の電脳力者を襲うであろうことは、女墜天使にも容易に考えられた。
(何で殺せてないのよ……何で殺されそうになってんのよ……)
隠し玉の存在など関係無く。
自らの思い通りにいかない要因の全てを、女墜天使の理性が理不尽だと憤る。
あまりにも身勝手な、それを悪いとさえ思わない我欲が。
何もかもがうまくいかない、そんな現実を許せない。
だから、
「いいからさっさと……私達に殺させなさいよッッッ!!!!!」
「!!」
ヒステリックな絶叫と共に、女墜天使の体から――毒々しい、紫色の靄のような何かが生じたことも、あるいは必然だったのかもしれない。
縁芽苦朗は僅かに目を見開くと、突如として女墜天使から繰り出された『何か』を後方に飛び退く事で回避する。
そう――究極体デジモンの力を振るっている彼でさえ、直感的に回避の必要性を感じられるほどの攻撃を女墜天使は放っていた。
間合いを取った直後に、貴公子が抜け目無く背後から放ってきた呪いの銃弾を刀の一振りで捌いてから、苦朗は改めて女墜天使の姿を見据える。
そして、彼もまた『敵』の明確な変容を見た。
(……レディーデビモンに、あんな武装あったか……?)
それまでの女墜天使は、インターネットにも掲載されている『レディーデビモン』という種族と大して変わりの無い在り方をしていた。
強力無比な闇の力を帯び、時には左腕と共に槍にすら形を変える黒き衣に身を包み、コウモリに似た暗黒の飛翔物を無数に放って歯向かう者を焼き尽くす暗黒の墜天使――という『設定』通りの容姿と力。
それがどうだ。
背中から生えている黒い翼はマントのような優雅さを得て、身に纏う黒き衣はより動きやすくなるよう戦闘に特化した造形となり、頭上では小さな腕を生やした使い魔とでも呼ぶべき存在が邪悪な笑みを浮かべている。
確かに『レディーデビモン』という種族が身に纏う黒き衣には意思が宿っているかのように『顔』が浮かんでいる部分が存在していたが、ここまでの存在感は無かった。
そして、元々右腕から胴体までに飾りとして巻きついていたチェーンは、その長さを伸ばして武器としての役を得て。
時に槍と化す左腕の鋭い爪は乖離し、身の丈ほどはあろう規模の巨大な爪の武装として女墜天使の左腕に寄り添う形で浮いていて。
極め付けに、その頭に被さった悪魔染みた造形の黒い頭巾に刻まれていたのは、
(……「X」の一文字……。しかもこの、異常なまでの闇の力の発露……そういう事か)
デジタルモンスターという存在を、それに纏わる大きな事象の一つを知覚していれば。
それがどれだけ重要な事実を示すものか、あるいは気付ける者もいただろう。
そして、縁芽苦朗は気付ける側の存在であり、彼からすればそれだけの事実さえあれば確信を得るのに十分すぎた。
その頭脳は瞬時に女墜天使に宿っているモノの正体を看破する。
「――貴様等、バルバモンの電脳力者から闇の力を与えられていたんだな」
考えてみれば、だ。
牙絡雑賀に対して縁芽苦朗が力を注ぎ込む事で、結果として新たな力を目覚めさせたように。
同じような事を、同等の力を持つ魔王を宿す者が行えない道理など無かったのだ。
その気になれば、必要となる事情が絡めば、自分自身が出向くこと無く目的を果たせる確立を上げられるのであれば、むしろその選択こそ当たり前だと言える。
バルバモン――『強欲』の大罪を司る、七大魔王が一体。
インターネットに記載された、基本的に大袈裟に描かれがちな『図鑑』に曰く、それは世界一つを構成するに足るほどの力を自在に操ることが出来るほどの力を持っているらしいのだから。
どの程度の力を与えたのかは知らないが、こうして戦ってみれば嫌でも解ることがある。
(……確かに、これだけの力を発揮させられるともなれば、足止めとしては十分だろう。俺が死に体であることを加味すれば、尚の事だ……)
縁芽苦朗の知る限り、闇の力は怒りや悲しみといった負の感情の発露に伴って増大するものだ。
急に女墜天使が新たな力を発揮しだした理由も、大方思い通りに事が進まないことに対する憤りなどであることは容易に想像がついた。
どう考えても幼稚な、自らの研鑽不足や倫理観など微塵も勘定に入れていない『子供の理屈』に過ぎないが、それだけでここまで容易く強い力を発揮してしまうのだから闇の力というものは本当にタチが悪い。
こんな邪悪な力を持った者が増えていったら、どれだけの実害が現実にもたらされるか――縁芽苦朗は考えたくもなかった。
そして、その嫌な想像を現実のものにするが如きタイミングで、もう一つの『変化』が生じていた。
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