
疲れたな、何も考えたくないな、という時に進んでやることがある。
それは、溜め込んだビニール袋をキレイにたたみ直し、サイズごとに仕分けることだ。
母はビニール袋やサランラップをほば使わない生活をしている。
だから、たまに手に入るビニール袋もプラごみとしてそのまま捨てられるしか無かったのだが、
私がしこたまビニール袋を溜め込んでいることを母が知り、以来すべての袋は私の元へ届けられるようになった。
その大量の袋たちを、無心で、畳む。

誰にも分かってもらえないとは思うが、これが私にとっては非常に癒やされる作業なのだ。
畳んでいるうちに、忙しかった心も落ち着いてくる。
精神的な不調がある人は、「これをすれば心が落ち着く」というテッパン作業をあらかじめ見つけておくことが大事らしい。
前に何かの本で読んだ。
テレビを観るでも音楽を聴くでも良いし、編み物でもマンガでもスマホゲームでも良い。
心が荒れたら掃除や断捨離をする、という人もいると思う。
今ちょっと不安定だな、と自分で感じたときに、確実に心をフラットにできる術を自分で知っておくことで、ダダダダッとドミノ倒しのように精神状態が悪化するのを防げるのだそうだ。
この術というのが私にとっては、「ビニール袋を畳み仕分ける作業」。
そんな私の気持ちを分かってくれる人がいないのと同じで、心の整え方というのは合う合わないがあり、個人差もある。
自分にはどんな対処が有効かを、心の不調がやってくる前に、自分で探しておくといい。
さて実家からやってくるビニール袋には、ごくまれにお宝が混じっていることがある。
30Lくらいはありそうな大判の袋とか、シャカシャカタイプではない、みっちり密度の高い素材の頑丈そうな袋とか。
大きなゴミや、尖ったゴミを快適にゴミ出しするために、大きな袋も高密度の袋も貴重品だ。
普通ならダイソーで買うしかないものがポロッと混じっていることがあるので、そういう意味でも袋たたみは気分の上がる作業である。
先日も、実家から送られてきた中に、びっくりする袋が混じっていた。
これだ。

誰かがこの袋に野菜か何かを入れて、母にくれたのだ。
一体誰がそんなことをしてくださったのか?
こんな可愛い袋を使ってくれるなんて、どこのどなた様か?
母に確認したが、そんな細かいことはとうに忘れてしまったらしい。
私なら絶対覚えておくのに…
母にとってはその他大勢の袋のひとつなのけれど、私にとってはちょっとしたお宝。
それでも最後はどうせ生ゴミでも入れて終わるんだろうが、せめて使うのは一番最後にしようと思って、袋を収納している引出の一番奥に仕舞った。
おそらく数年はこのままだ。
そしてそのうちに、せっかくのこんな可愛い袋の存在も私はスッカリ忘れている。
モノが多すぎる生活ってそういうこと。
反面教師にしてください。
★ランキング参加中★
※リブログ欄閉じていますが、リンクはフリーです。ご自由にどうぞヽ(^。^)ノ
