近所の川で、子どもたちがザリガニ釣りをしていた。
釣り糸の先に結ばれた餌を見て、ギョッとした
餌として定番のスルメイカではなく、紫色の奇妙な物体が結ばれていたのだ。
それは、お菓子の、「フェットチーネグミ」だった。
これを糸の先に結び、ザリガニのいそうな穴の前に垂らすと、百発百中と言っていいほどの確率で、ザリガニが釣れる。
家にスルメがない近所の子が、持っていたこれでたまたま試してみたらしい。そうしたらスルメより釣れるぞと、この方法は子供たちの間で大評判となった。
大きなハサミで紫色のフィットチーネをガッチリと挟む、見たことがないザリガニの図に令和を感じた。
子どもたちの外遊びで本当にすごいと思うのは、例えばザリガニ釣り一つとっても、スルメがないからだめだとか、網が無いから捕れないとか、そういう先入観がないことだ。
参考書でザリガニの釣り方を勉強するんじゃなくて、とりあえず家にあるものを、タブー無くそのまま使ってみる。
それが時にものすごい成果を生み出すので、大人の私は感動することがある。
過去にとても印象に残っているのが、「神社でオムライスを作った」子どもたちだった。
その神社には、大きなイチョウの木と、大きなモミジの木があった。
落葉した黄色いイチョウの葉を大量に集め、全体を楕円形に整えて、その上にケチャップに見立てたモミジの葉を乗せる。
神社の境内に、子どもの身長3人分くらいのサイズの、巨大なオムライスが完成していた。
とても美しいオムライスだった。
こういう遊びは、子どもしか思いつかない。
大人は、イチョウはイチョウにしか見えないし、モミジはモミジにしか見えない。
イチョウを卵に、モミジをケチャップにできるのは、小さな子どもだけだ。
そして彼らを眺めていると、同じ子どもでも、小学5、6年生くらいになればもう、そういう発想はなかなか出てこないように感じる。
そういう遊びを楽しいと思わなくなる、瀬戸際の年齢なのかもしれない。
幼い子どもだけが持つ驚異的な発想力は、何より大事にすべきものだと、数年間の育児を通じて強く思うようになった。
市販のドリルでは手に入らないし、親子での遊びでも手に入らない。
子どもだけの世界だからこそ育まれる発想力と、それを生かす実践力みたいなものがあって、あれは大人が介入した瞬間に消えてしまう。
私は一人息子しか育ててないし、近所の子どもたちしか見ていないけれども、来る日も来る日もじーっと彼らを眺めていてそういう考えを持つようになった。
家族でキャンプや旅行に行くのは素敵だけれど、子供が小さければ小さいほど家の周囲で十分だったりするから、どこにも行けない家庭であっても気にせずに、暇だなーと叫びながら「なんでもない一日」を存分に味わったらいいと思う。
教育や経験というのは、どこに行かないとできないものではないし、何がないからできないものでもない。
自然が豊富でない街中でも、アスファルトの端っこが崩れているのを見つけて、石みたいにカチカチなのかと思ったらポロポロ崩れるんだと、それを触った子どもが驚いたりする。
暇で暇でたまらない夏休みでも、どうにかこうにかしてしまうのが子どもたちだから、親が子供を連れて行くんじゃなくて、子供の行く先へ、親が後ろから付いて行ってみると良いんじゃないかな。
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