私には一人息子がいます。現在8歳、小学2年生です。
彼が幼い頃、「息子にスマホを見せない」というのは、私の育児の一つのこだわりでした。
代わりに、バッグの中には必ず、ペンを一本忍ばせていました。
病院の待合室や、バスの停留所なんかで息子が騒ぎ出すと、私はそのペンで、息子にいつも絵を描いてやっていました。
荷物が嵩張るのでノートを持ち歩いたりはしません。書くのはレシートの裏です。
お店でもらったレシートを、財布に数枚入れたままにしておき、いざという時のお絵描き帳にしていました。
あの細長い紙の裏を埋めるように、私がちまちまと絵を描き始めると、息子は私の手元を覗き込み夢中になっていました。
これはバスだね。これはトラックだね。
息子は幼い頃乗り物が好きだったので、私は色んな働く車を描いていました。
その後間もなくして彼の興味は、車から虫へと移っていきました。
私は息子と出かける時、バッグにペンを入れておく代わりに、今度は小さなビニール袋を忍ばせておくようになりました。
出先で思いがけず見つけたバッタやカマキリをその袋に入れて、家に持ち帰るためです。
炎天下の中何時間も、彼は毎日虫取りをしていました。
捕まえた虫をカマキリにやってみたり、蜘蛛の巣に引っ掛けてみていることもありました。
蜘蛛が沢山の糸を布のように一気に噴き出して獲物を巻くところを、息子はジッと見ていました。
幼い頃は、車を描く私の手元を一生懸命見ていた息子が、いつの間にか私の手元ではなく、周りにある自然を見るようになっていました。
石とか草とか小さな虫にいちいち驚き感動する、そんな息子の姿が永遠に見られると私は思っていましたが、小学生になると彼の興味は、身の回りの自然から今度は「友達」へと移っていきました。
今でも虫取りはしますが、幼稚園の頃のような情熱はもう息子には無いようです。
友達と遊ぶのも同じくらいに楽しいし、ドラえもんの漫画も読みたい、とおそらく彼は思っています。
子供が母の助けなく、たった一人で夢中になって自然と戯れることのできる時期というのが、こんなに短いものだとは思いませんでした。
3歳から小学生になる前までのせいぜい4、5年間です。
8歳の今も家にはカブトムシがいますし、公園で蟻の動きをジッと観察していることもありますが、かつてのような一心不乱さはありません。
2時間も3時間も集中して、カマキリの動きを見つめ続けるようなことを、彼はもうしないのです。
ちょっと大きくなってしまったら、子供はもう、小さな自然から「とんでもない感動」を受けることはなかなかできないようです。
興味の幅が広がって、石ころどころでは無くなります。
死んだ虫に蟻が群がるのは普通だし、雨の日にカタツムリがいるのだってもう普通になっています。
知識として既に知ってしまっているので、見たところで「わあっ!」とはなりません。
「わあっ!」となれるのは、小学生になる前の、あの僅かな間だけです。
あれがそんなに貴重な時期だったとは、当時は思いませんでした。
しかし息子が8歳になった今なら分かります。一生のうちで、あの時期の子どもの心にしか生まれ得ない感情というものが、間違いなくあります。
10歳の外遊びではダメ。5歳の外遊びじゃないと、ダメなのです。
3歳、4歳、5歳の外遊びだからこそ心に抱くものというのが、子供にはあるように思います。
来る日も来る日もバカみたいに、日が暮れるまで毎日子供と外遊びをしてきた私の感想です。
「小学校に上がるまでが勝負」というのはお勉強の話ではなく、外遊びの話だと私は思っています。
たった一人の我が子しか育ててはいませんが、強くそのように思います。
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