綺麗な鍋に熱湯を入れ、これを温めようと思いましたが、その直前に私は別の鍋で、油揚げの油抜きをしたところでした。
ちょっと汚れたその鍋でついでにハンバーグの湯煎もしてしまえば、洗い物が一度で済むから時短になるぞ!と思ったんです。
だから、新たに沸かした湯を、すでに使っていた方の鍋に入れて、ハンバーグを湯煎しました。
そしたらですよ。
湯煎完了したハンバーグを取り上げたら、ガックリですよ。
ハンバーグを開けるための端っこのビニールが、鍋にわずかに残っていた油揚げの油でずるずる滑ってしまい、手では開けられなかったんです。
結局包丁で、ビニールを切って開けました。
包丁が汚れて、洗い物が増えました。
時短はどこ行った?
ズルズル滑るビニールと格闘した時間を考えると、油の付いていない新しい鍋で普通に湯煎した方が、よほど早かったです。
時短を試した結果通常より手間が増える、こういうことが私にはよくあります。
前にもありました。
春雨をゆがいたお湯でその後卵もゆがこうとしたら、春雨ごとお湯もシンクに流して卵を湯がけなかったとか。
春雨ゆがいている間に、別の鍋でさっさと卵ゆがいてたほうがよほど時短でした。
でもたまーーに、時短家事が成功することもあります。
NHKのあさイチや、暮らし系書籍で仕入れた時短家事の情報を実践し、成功することがあるんです。
おお、すごい。時間が、余った!
と、ある日も私は思いました。
でもね。
余った時間でその日私がしたことといえば、インターネットで無料漫画を読んだことと、最近発表されたコスメの情報をネットで探ったことでした。
スマホの画面を注視しすぎて、頭痛がしてきました。
私は、自分の頭を痛くするためにわざわざ時短したんだっけ?
そこで思い出したのが、時短家事とは無縁の母のことです。
必要なだけの時間をかけて、普通の家事を、普通にする。時間が余れば好きなことをするし、余らなければそれもしない。
時短なんて考えずに、母は毎日、あるがままに暮らしていました。
「時短に追われる私」とは真逆です。
子が幼い頃ならまだしも、だいぶ手が離れてきた、しかもパートすら辞めた今の私に、何かを時短する意味はないのかもしれないと思いました。
「時短」とはとても魅力的な言葉だけれど、時短して浮いた時間を、私は一体何に使うんだろう。
どうでもいいネットページをだらだらと見ては、せっかく浮かせた時間の無駄遣いを嘆くのが関の山な気がして、時短ではなく普通に、あるがままに家事をしようと思いました。
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