当時の私が息子に作る食事の基準は「美味しいかどうか」ではなく、「薄味かどうか」でした。
塩も砂糖も醤油も極端に少ない、もっと言えば味付けなどほとんど何もしないような食事を作り続けていましたが、ある日ふと目にした記事で私は我に返りました。それは「母親による子ども虐待」についての記事です。
その記事には「こんな行動は虐待にあたります」というものがリスト表示されていました。
たとえば子どもを叩くとか、放置するとか、そういう分かりやすい虐待行為に並んであげられていたのが「極端な薄味や、味のしない食事を与え続ける」という行為です。
ああ、これは私だ、と思いました。
初めての育児、相談相手のいないワンオペの中で、息子がとんでもなく太ってしまうのではないかと不安で不安でたまらない気持で私は毎日を過ごしていました。
薄味は正義。素材そのままの味で食べることこそが我が子の健康で文化的な生活に繋がる。
そう信じて疑っていたなかった私でしたが、「それは虐待かもしれないよ」と思いがけず投げかけられたことは、息子への極端な食事づくりを見直すきっかけになりました。
それからしばらくして、息子は幼稚園に入園しました。
初めての登園の日、幼稚園から「おやつ」として出されたのはハッピーターンでした。
市販のおやつを排除していた息子の純粋培養が終わった瞬間です。
以前の私であればそれを見て、あんな味の濃いお菓子を食べさせるなんてと思ったかもしれません。
私が「極端な薄味を食べさせ続ける」親だったら、息子がハッピーターンを嬉しそうに食べる姿を見て混乱していたことでしょう。
しかし、その時は違いました。息子だって甘くておいしい物を食べたいよね、家では食べないおやつが出てきて良かったね、と思いました。
ちなみに幼稚園でハッピーターンが出たのはその日だけです。
翌日からは「イリコ3匹」がおやつだと聞き、初日のハッピーターンは子どもたちを幼稚園に慣れさせるための配慮だったと知りました。
味の無い幼児食は息子にとって、不幸とまでは言えないが決して幸福では無かったろうと、今振り返って感じます。
時々のハッピーターン、時々のフライドポテト、それで良いのだと思えるまでに私はとんでもない時間をかけてしまいました。後悔ばかりの育児をしてきた、極端な親だった私の昔話です。
★ランキング参加中★
※リブログ欄閉じていますが、リンクはフリーです。ご自由にどうぞヽ(^。^)ノ