高校の同級生は東大へ進学しました。
塾には行かず、趣味がギターで、生徒会長で、全校集会での会長挨拶はいつも短く1分。その中に面白い一言を入れ爆発的な笑いを取る、彼は分かりやすい「天才」でした。そして今、その彼はシリコンバレーで働いています。
 

およそ20年前の2月の受験期、東大の二次試験が終わった翌週のことです。

受験生だった私は、同じく受験生だった彼に、東大二次ではどんな問題が出たか、出来はどうだったかと尋ねました。

二次試験の数学で出た問題の一つは、「円周率が3では無いことを証明せよ」というものだったそうです。なんだその問題は。しかも彼は、「恐らくできた」と答えました。
 
 
私も彼と同じタイミングで大学受験をし、しかし彼とは違って数学で大失敗をしていました。
しかしあれは「大失敗」ではなく、ただ「実力が露わになっただけ」。
 
失敗したと言えるのは、本来それをクリアするだけの実力がある人間だけであり、私の場合、数学においてそういった実力を持ち合わせてはいませんでした。
つまりあれは「失敗」なんかではない、ただ実力でふるい分けされただけであったと、円周率が3で無いことを本番で平気で証明してみせた彼の姿を見て思いました。
 
 
当時、この東大二次試験の設問は巷で話題となり、ワイドショーにも取り上げられました。
それはあの頃、私より下の世代で「ゆとり教育」が始まり、円周率は3.14ではなく3と教えるように小学校の学習指導要領が改定されるという話があったからです。
 
円周率は3ではない、そんなもの教育ではない、という強烈なアンチテーゼとして試験にあの問題を設けることで、天下の東大が文部科学省に喧嘩を売ったと当時話題になりました。
 
その後、「円周率を3と教える」というのは誤報であったと聞きましたが、私の中でも未だ、「ゆとり教育」と「円周率3」はセットになって記憶されています。
 
 
 
さて、私の息子は現在小学1年生です。親として特段の信念も無いのに、「子が習い事をやりたがらないから」という理由だけで息子は現在習い事ゼロの生活をしています。
親の私はひたすら不安であるため、習い事の代わりにと必死で公園遊びに付き合い運動代わりの鬼ごっこをし、家では宿題を見ています。
 
学校の勉強に余裕を持って付いていくには「先取り勉強」が大切だろうと思った私は、息子が小学一年生の夏休みに、算数の文章題や、10の位以上の大きな数字を市販ドリルで教えました。
 
その結果何が起きたかと言うと、「文章題は面倒くさい」という嫌なイメージを息子に植え付けてしまったのです。
これはマズいと思った私は現在「先取り」をやめ、「復習」を基本とするように方針転換しました。
 
 
そのやり方に最初こそ不安でしたが、ある日気付いたことがありました。
予習をしていなくても息子は、学校の授業を聞いただけで、少なくとも1年生で教えられる範囲のことは120%理解して帰ってきていたのです。
 
私が「先取り」に熱心になっていたのは、学校の授業を信頼していなかったからかもしれないと思いました。
授業だけでは不十分だから先に触りだけでも、と下手な手出しをしていました。
それでも息子が家で理解の難しかった「数の位」という概念について、私が教えても分からなかったのに、学校の授業で習った途端に彼はバッチリ理解して帰ってきました。
 
学校の先生は流石にプロです。基本的過ぎて逆に教えるのが難しい、「大きな数字」や「位」とかいう概念を、7歳児にこうも一発で理解させるとは流石だと私は思い、以来家での「先取り」に私が執心することは無くなりました。
 
 
小学校から高校まで塾無しで、そのまま東大に合格した彼も恐らく、最初、基本は教科書だったはずです。
教科書を100%理解すればどんな問題でも解ける。それを私も頭では分かっているのに、高校数学では教科書を疎かにしましたし、あやうく息子にも、同じことをするところでした。
 
息子の場合、家で取り組むべきは先取りではなく、教科書の復習。そして、「既に学校で習ったことの応用」です。予習は座学ではなく、遊びの中で掛け算に触れるとかその程度で充分でしょう。

学校授業を疎かにした結果かつて受験数学で「失敗」した私は、息子の専属家庭教師として、今こそその苦い経験を生かせるときだと思っています。

 
 

 

 

※学校の机は狭くて不便なのに、なぜああも集中できるのか。

 

 

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