息子は産まれてすぐからとにかく寝ない子でした。寝なくて寝なくて苦しくて、「いい加減寝ろ!」と私は声を荒げ生後3か月の息子を投げ飛ばす、ふりをしてそっと布団に置いたこともありました。

母親が子を虐待死させたというニュースを見るととても他人事とは思えません。何かの拍子に、私もあちら側へ行く可能性がありました。


あちら側へ行かずに済んだ要因のひとつにメルカリがありました。私は育児中ずっとメルカリを見ることで、心のバランスを保っていました。

 

 



育休が明け、寝ずの育児に仕事が加わり多忙を極めた頃、息子の2歳半健診がありました。


犬や車の絵を見て指差しできるかというテストで、息子は正面に座る職員の姿を見て固まり、一つも答えることができませんでした。

内気な息子、恐らく指差しテストはできないだろうと私は健診に行く前から予想していました。

そのため実際に一つも回答できず、発達状況の確認で半年後に電話させてもらうと職員さんに言われた時も特にショックはありませんでした。テストでは指差しできないけれど、家ではできることを私は知っていました。

 


健診のあと、子の食事について相談する場が設けられました。私は息子がご飯を噛まずに丸のみする癖があることに悩んでいました。

何をどう試しても噛んでくれないのだがどうしたらいいだろうかとベテランらしき保健師に相談しました。


保健師は「食材を大きめにカットしてみたら」と言ったので、それはもう試したけれどダメだったと伝えました。

すると今度は「噛まなきゃ絶対に飲み込めないような大きさに切れば良いのよ」と何でもないことのように言われました。大きくすりゃあ嚙むしかないんだから、と。


そんな大きな塊を子の口に入れたことは当然ありませんでした。藁にもすがる思いで「そのやり方を試してみます」と返事をして相談を終えました。私はとにかく、疲れていました。

 


翌日、早速にんじんを、かなり大きめにカットして食べさせてみました。これで噛んでくれるかもしれない、と一瞬思ったような気もしますがそれはすべて大人の都合で、息子はその巨大なニンジンを、一切噛まずに無理やり飲み込みました。


その途端息子は声にならない声を上げ、びっくりしたように目を見開いて顔を左右に振りました。両手で喉を引っ掻くような動作をし、その内に唇がみるみる青くなっていきました。

ニンジンが喉に詰まったのです。


苦しくてジタバタする息子の名を私は必死に叫び、必死に背中を叩きました。

ほどなくして口から巨大なニンジンが飛び出しました。ケホケホせき込む息子の唇にも赤みが戻っていきました。


一瞬の出来事でしたが、私の記憶の中ではいつも、息子の呼吸は長時間止まりもがき苦しみ、私はその背中をスローモーションで叩いているのです。

 


会ったばかりの保健師の言うことをなんで盲目的に信じたのだろうと、今でも時々思い出します。大きく切って食べさせれば子どもは何でも噛むわよと、私の悩みを一笑に付した保健師さん。私の息子に何も食べさせたことのない赤の他人の言葉を真に受けて、私は息子の命を危険にさらし本当にバカなことをしたと思いました。

 

私は料理が嫌いです。子に健康的な食事を与えられるかというプレッシャーの中で育児をしていました。

健診で指差しができなくても何の心配もせず、全てのことに対して私は「これが自分のやり方だ」と自信を持っていられるのに、ご飯を噛まないということにだけは異様な不安を感じていました。子が喉を詰まらせるという当たり前の可能性に気が付かないほど不安で、疲れていたのでしょう。


子が死ななくて良かったというその一言に尽きますが、私は当時の出来事を、今でもすべてあの保健師さんのせいにしています。名前も知らない保健師さん、私が失敗したのはあの人のアドバイスがまずかったからだと、そう思い込むことで私は、愚かな自分の苦い記憶を消化しようとしています。

 


  






 

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