私の10~20代振り返ると生きることに必死だった。
学校に行くことすらできなかった
就活もうまくいかなかった
多くの人が歩く道にはなじめなかった
でもそうしないと、この社会に生きられないと思い込んでいてた。
大勢がしているであろうテンプレートに乗っかって、
周囲に合わせて働くというのは私的に学びは終わった。
その努力の方向は果たして私には合っていたんだろうか、いや合ってないと思ってやってたと思う。
ただ、それは無駄ではないし、人の気持ちを知れる機会だったし、社会の視野の狭さや価値観をいろいろ学べたと思う。
ただ、疲れるやり方でした。私の最大限の力を発揮できる場所ではなかった。
頑張る時に頑張ることは学んだので
好きなこともそうでないことも
頑張らないことを学び直すときだな。きっと。
不登校を何回かしたのも頑張らなくていいことを教えてくれていたのかもしれない。
10代の私はそこに行き着けなかった。
「自分の存在価値などない」とずっと思っていたのは、社会の人の役に立てていないのとイコールだと思っていたから。
市場価値を自分の価値だとすり替えてしまっていたから。
魂の価値はすべての生き物を通して等しいと知っていながら、
生きる上で社会の中での自分の存在価値をはき違えすぎていた。
良し悪しや生産性、合理性を人に当てはめるのは土俵が違うとわかるのに時間がかかった。
今働かずに、何もしなくてもいい時間をいただいているのは、頑張らない日々を思い返すため。
できない自分、何も役に立っていない私を愛するため。
駄目だと思っていたものはダメではないということを、真に理解し、丸々愛するため。
ふとしたときに顔を出す「ちゃんとしなくちゃ」という思考。緩めること。
なんでもありだと自由に生きる選択肢広げるため。
グラデーションでかなり愛すること、ゆるすことをやってきたつもりだけど、まだ足りなかったみたい。
そして、新しい自分で生きていこう。
昔の私を引きずっていたのは私。
昔の成功体験や失敗体験は今とつながっていないこともあるから。
あの時の私とは違うからと
goodbye ex-myself
苦しい、悲しい気持ちで作り上げてしまった私を開放しよう