やさしい君だから 心配するの

どうか 少しでも心が安らげばと

隣にいられないのが さみしいけど

手を取って 抱きしめていたい

 

涙の一粒一粒を 集めて 星にして

あの子に 届けようね

さみしいよ 会いたいよと

私たちにできることは願うことだけ

 

感受性が強い君だからこそ

どうか 今 周りの人がやさしいことを

隣にいられないから この気持ち

目を閉じて 送るわ

 

涙の一粒一粒を 集めて 星にして

あの子に 届けようね

大丈夫だと ゆっくり休んでと

私たちにできることは想うことだけ

 

胸が痛む 何かを失ったかのような 喪失感

あの子が見せた人生は

すべてを美しく瞬く

笑顔 まぶしさ きらめき

あの子は 何を思っていたのだろう

 

やさしい君だから

何も言葉はかけないよ

ただその痛みを分けてほしい

今はなにもしないで がんばらないで

 

 

4月の末、あることをきっかけに胸が痛み、個人的にとても心配になったSEVENTEENのスングァンにあてて書いた歌詞です。

あることの直後に書いたので私的にすごく生々しい気がする歌詞。

私の10~20代振り返ると生きることに必死だった。

学校に行くことすらできなかった

就活もうまくいかなかった

多くの人が歩く道にはなじめなかった

でもそうしないと、この社会に生きられないと思い込んでいてた。

 

大勢がしているであろうテンプレートに乗っかって、

周囲に合わせて働くというのは私的に学びは終わった。

その努力の方向は果たして私には合っていたんだろうか、いや合ってないと思ってやってたと思う。

ただ、それは無駄ではないし、人の気持ちを知れる機会だったし、社会の視野の狭さや価値観をいろいろ学べたと思う。

ただ、疲れるやり方でした。私の最大限の力を発揮できる場所ではなかった。

 

頑張る時に頑張ることは学んだので

好きなこともそうでないことも

頑張らないことを学び直すときだな。きっと。

 

不登校を何回かしたのも頑張らなくていいことを教えてくれていたのかもしれない。

10代の私はそこに行き着けなかった。

「自分の存在価値などない」とずっと思っていたのは、社会の人の役に立てていないのとイコールだと思っていたから。

市場価値を自分の価値だとすり替えてしまっていたから。

魂の価値はすべての生き物を通して等しいと知っていながら、

生きる上で社会の中での自分の存在価値をはき違えすぎていた。

良し悪しや生産性、合理性を人に当てはめるのは土俵が違うとわかるのに時間がかかった。

 

今働かずに、何もしなくてもいい時間をいただいているのは、頑張らない日々を思い返すため。

できない自分、何も役に立っていない私を愛するため。

駄目だと思っていたものはダメではないということを、真に理解し、丸々愛するため。

ふとしたときに顔を出す「ちゃんとしなくちゃ」という思考。緩めること。

なんでもありだと自由に生きる選択肢広げるため。

グラデーションでかなり愛すること、ゆるすことをやってきたつもりだけど、まだ足りなかったみたい。

 

そして、新しい自分で生きていこう。

昔の私を引きずっていたのは私。

昔の成功体験や失敗体験は今とつながっていないこともあるから。

あの時の私とは違うからと

goodbye ex-myself 

苦しい、悲しい気持ちで作り上げてしまった私を開放しよう

 

ここにきてまた気づいたこと。

余裕をもてるように、ようやくなった。

ゲームを楽しめなかったり、推し活疲れたり、純粋に趣味が楽しめなくなってたのかもしれないと。

やっとそれがわかった。

精神崩壊する前から余裕がなくなってたんだとようやくわかった。少ない充電でなんとか乗り切っていたんだね。あの時休む時間が少なすぎだんだと思う。わかってたけど自分の思うより余暇が必要だった。


引っ越しのストレスもやっと少なくなって、心身ともに環境に適してきた。あんまり理想的ではないけど。

でも、本格的に仕事に向き合えるようになった。

頑張ろうと思うのはいつものことなので、気楽にしようとするくらいで丁度いいかもしれない。

自分に負担かけそうな思考をもってるから、社会に適応しすぎないように気をつけよう。