特にこれっていうひとつの原因はないけど、

9月の後半から鬱気味。

怒りやずーんと重い感じが体から抜けなくて辛かった。

まだあるかもしれない。


ある日、家族のちょっとしたコミュニケーションのストレスでうわーと泣いた。やりきれない気持ち。報われない気持ち。人生諦めた時と同じ感じ。辛すぎて、自分のことあけ渡そうと思ったら、サレンダーしたとでもいうのかな。

もう私の努力の方向が合ってなかったのか、どうにもこうにも動かなくて降参した。

たぶん、3年間いろいろ過去の感情の大掃除しようとしてて、総じて疲れたんだ。

もういい加減でもいいかなと。


全部赦せるゾーンに入ってきているかもしれない。

親子関係のことは私が勝手に反応してイライラしてムカムカしてただけで、あの時やりきれなかっただけなんだもんな。自分のこと大切にできない自分に怒ってるんだよな。

わかってても感情はシンプルで感じるのを抑えないことと赦したい気持ちが拮抗して大変だった。

それを相手のせいにしたり、やっぱりこの人は距離を置くべきだとか、不安定になって葛藤してた。それも飽きて終わりそう。


親にして欲しかったこと、言いたかったこと、割と納得できるくらいはできたのかもしれない。ぶつけ切ってはいないけど。

全部思い通りに返っては来ないけど、自分を守ることができて、自分がどう扱って欲しいのか見えて、自分を大切にしてくれる人が見えて(彼らが私を大切にするという方法が間違っていたとしても)それも自分の愛を深める作業でしかなかった。

最後に本音の本音の言いたいことは手紙にでも書こうかな。冷静になれたときに。渡すのかは別で。気が向いたら。


もうどうでもよいところまで、感情動かした気がする。

疲れたね、よくやったね、頑張ってたのは人生動かしたかったから、何も無駄ではないよ。

手放せる領域を学んだんだと思う。


まだ、うつうつは若干するけどね。




誰かの愛に触れた時

誰かの傷に触れた時

それは直接的ではなくて、間接的な時な方が時を超えて涙が出る。


私は10代の時自分を痛めつけすぎていたので、その痛みがまだ出てくる。

どれだけ自分を傷つけていたんだろう。

今の私からすると考えられないくらい自分を蔑んでた。

よく頑張ったよね。

よく耐えたよね。

よく生き抜いてきたよ。

拗ねながら、嘆きながら、苦しみながらも。


そんなことをふと思った。

あの時の私が助けを求めてるんだなと感じた。

ありがとう。大丈夫。

その時代も必要だった。

私の愛に気づける過程で必要だったんだ。

ただ、ときどきは自分を甘やかしてもいいんだよと言ってあげる。

私だから私の人生歩けてたし、本当ご苦労様でした。


そんなことを感じた秋の入り口。

一年間仕事続いてしまった。

ダメだったらやめようと、ボランティア的な気持ちで気楽にいたらそんなに負荷なくできちゃった。

力の抜き方と、社会で生きる自信もらった。

当初の頑張らない目標はいつの間にか達成していた。

ありがとう。

どこでも、私は元気に生きていけそうな気がする。


やっぱり経験は一番自分に力与えてくれるし、理想と現実が繋がると自分をもっと信じていこうと励まされる。


ありがとう。

もっともっともっと私は変わっていく。

死ぬまでずっとずっとずっと私は学んでいたい、成長したい。


次は何しよう。