はい。秋から始まった何とも言えないメンタルの不安定さ?みたいなのまだあります。うふふ。

ちゃんと人生立て直そうと思ってからもう7年くらい?

「ちゃんと」ていう型を外そうとしているのかもしれない。と最近気づいた。

「ちゃんとする」ってないのにさ。自分らしくを切り取って生きていく方が楽で、最短なのに、こだわっていたのは自分の気持ちを満たすことが先だった。その先には「ちゃんと」するなんて全部できないってわかってる。いい加減でもいい。できなかった自分で責めてるだけなのよ。それも。別にそれも人生の味なのにね。

自分の理想の人生は今まで見てきた中から選択した最善でしかないのならそれ以上の景色を見たいと思う。

今年に入ってから、何もかもどうでもよくなってきた。いい意味で。諦めたというより、委ねたという感覚。

好きなこともただの私の心の癒しの一つでしかなかったみたい。心の問題が解決するたびに必要でなくなってきてきている。

それは少しだけ寂しいけど、嬉しい。新しい私というか本来の私が見えてきているからだろうな。

大切だと思っていた「好き」という感情は、私の安心安全の基地で、癒しで、両親の愛情の代わりで、都合よく私を愛してくれる手段だったのかもしれない。

子供の頃に純粋無垢に大好きという見返りも癒しも要らなかったときはこんなに執着しないと思うから、余計そう感じた。

ぽろぽろ一つずつ卵の殻のように剥がれていく、私を守っていたもの。ネガティブの好きなものも人ももうそんなに要らない。

私一人で大丈夫になってきたから。いよいよ。私そのままでいていいと自分に自信がもてている。

 

だからこそ、どうでもよくなった。

こうなったらいいな、とかも、私の心の欠乏を埋めるものだったみたいで、結局本来ほしいものではなかったのかも。

自分の気持ちを満たす視点を沢山もてた今、いつでも幸せだ。でも、それ以上の幸せを望んでいいって許可もしているよ。

個人的な欲求そういえばそんなに強い方ではないし、誰かの笑顔見てる方が生きてて嬉しいから。

私は私を削らずに分け与えている方が幸せなのかもしれない。結局。

 

 

特にこれっていうひとつの原因はないけど、

9月の後半から鬱気味。

怒りやずーんと重い感じが体から抜けなくて辛かった。

まだあるかもしれない。


ある日、家族のちょっとしたコミュニケーションのストレスでうわーと泣いた。やりきれない気持ち。報われない気持ち。人生諦めた時と同じ感じ。辛すぎて、自分のことあけ渡そうと思ったら、サレンダーしたとでもいうのかな。

もう私の努力の方向が合ってなかったのか、どうにもこうにも動かなくて降参した。

たぶん、3年間いろいろ過去の感情の大掃除しようとしてて、総じて疲れたんだ。

もういい加減でもいいかなと。


全部赦せるゾーンに入ってきているかもしれない。

親子関係のことは私が勝手に反応してイライラしてムカムカしてただけで、あの時やりきれなかっただけなんだもんな。自分のこと大切にできない自分に怒ってるんだよな。

わかってても感情はシンプルで感じるのを抑えないことと赦したい気持ちが拮抗して大変だった。

それを相手のせいにしたり、やっぱりこの人は距離を置くべきだとか、不安定になって葛藤してた。それも飽きて終わりそう。


親にして欲しかったこと、言いたかったこと、割と納得できるくらいはできたのかもしれない。ぶつけ切ってはいないけど。

全部思い通りに返っては来ないけど、自分を守ることができて、自分がどう扱って欲しいのか見えて、自分を大切にしてくれる人が見えて(彼らが私を大切にするという方法が間違っていたとしても)それも自分の愛を深める作業でしかなかった。

最後に本音の本音の言いたいことは手紙にでも書こうかな。冷静になれたときに。渡すのかは別で。気が向いたら。


もうどうでもよいところまで、感情動かした気がする。

疲れたね、よくやったね、頑張ってたのは人生動かしたかったから、何も無駄ではないよ。

手放せる領域を学んだんだと思う。


まだ、うつうつは若干するけどね。




誰かの愛に触れた時

誰かの傷に触れた時

それは直接的ではなくて、間接的な時な方が時を超えて涙が出る。


私は10代の時自分を痛めつけすぎていたので、その痛みがまだ出てくる。

どれだけ自分を傷つけていたんだろう。

今の私からすると考えられないくらい自分を蔑んでた。

よく頑張ったよね。

よく耐えたよね。

よく生き抜いてきたよ。

拗ねながら、嘆きながら、苦しみながらも。


そんなことをふと思った。

あの時の私が助けを求めてるんだなと感じた。

ありがとう。大丈夫。

その時代も必要だった。

私の愛に気づける過程で必要だったんだ。

ただ、ときどきは自分を甘やかしてもいいんだよと言ってあげる。

私だから私の人生歩けてたし、本当ご苦労様でした。


そんなことを感じた秋の入り口。