一年間仕事続いてしまった。

ダメだったらやめようと、ボランティア的な気持ちで気楽にいたらそんなに負荷なくできちゃった。

力の抜き方と、社会で生きる自信もらった。

当初の頑張らない目標はいつの間にか達成していた。

ありがとう。

どこでも、私は元気に生きていけそうな気がする。


やっぱり経験は一番自分に力与えてくれるし、理想と現実が繋がると自分をもっと信じていこうと励まされる。


ありがとう。

もっともっともっと私は変わっていく。

死ぬまでずっとずっとずっと私は学んでいたい、成長したい。


次は何しよう。

久々にブログ書きます。

人生が少しずつ進むきっかけをここに記しているみたいだ。


ライオンズゲート期間の前半眠すぎてやる気でないし、ぼーっとして過ごしてた。

ふと、未来の自分を真剣に想像したら、この未来にもっていきたいものはなんだろうと思った。

そしたら、え、これも別にもってる必要ないよねと、

後半休んだ気力使う勢いで断捨離したくなって、色々片付けてた。

やっと過去の気持ちとお別れする覚悟ができた。



私、小さい時から感情を味わうのが好きで、余韻に浸るくせが抜けなくて、ずるずる生きてきた気がする。それは負の感情も正の感情も。

だから、地続きな人生に感じてたけど、過去の私はあの時あの状況で作り上げた自分だから、今と関係ないよねとやっと真に腑に落ちた気がした。

今必要ないものは手放しても、また必要なときに還ってくるから大丈夫という自信がもてたともいえる。

そこから、好きなものへの執着も減った。このひとのこの感性が好きだから、私のものにしたくて持ってたのかもしれない。もう、自分のフィルターを通して十分味わい尽くし、楽しみ尽くし、消化して過去になれたものたちはさようならできそうだ。


これで、軽く未来に迎える予感がやっと実感わいてきた。

収集癖は愛情不足かと思ってたけど、自分の才能を可視化したかっただけなのかもしれない。

最近、わかったことがある。

家族と同居することになったのは、以前の家族関係をやり直すため。

そして、子供のときに甘えたかった感情を吐き出すための時間だったのではないかな。

だから、両親に対して怒ったり、拗ねたり、甘えたり、傷ついたりして解放させていたのかもしれない。

今まで燻ってた感情すべて。


この家族の子供であることを演じるのがもう疲れた。

出したかった感情はだいたいだせたかな。多分。

あと両親もだけど、兄弟にも自分をさらけ出せることがようやくできるようになったからよかった。

家族の前で泣けたことはよかったけど、冷静に考えて泣くまで問い詰めるなんてヤバい人だとも思う。

自分の保身とプライドとコンプレックスで身を固めているだけにしか聞こえなかったけど、感情的になられるのは本当に無理なんだ私。PTSDみたいになる。

もう誰にも我慢するなんて必要ない。

ただの人と人なんだから。

私はこれからも大丈夫だと泣きながら思ってた。

よくやった。頑張った!偉すぎる私!


私、家族と他人の区別が今ではあまりない。

人と人でただの役割にしか思ってないから。生まれる順番や出会い方で人間関係変わるだけだと思ってるし。

この家族でのキャラクター崩さないようにしてたことと、誰に対しても本当の自分でいるのが怖かったから自分を出すことできなかっただけだと思う。

だから、もうこの家族での学びはひとつ果たしたかなと思う。


やっぱりこの家族は今の自分に合わなすぎる。

第一コミュニケーションの取り方が否定的で批判的で嫌い。私の悪いところが出てくるから、嫌だ。

もっと距離取らないといい関係にならないな。

会わない方がいい関係もあるからね。

なんかそんなこと思った4月でした。