人から否定されたり、ジャッジされたりして、ひどく落ち込む。

以前よりそういうのキャッチしやすい。

毎回思うのはなぜかと思った。


多分私は人が喜んでるのを見ていたいし、感じていたんだと思う。

嫌なことされたとは思わないけど、否定されるたびその人たちが幸せそうじゃないから落ち込んでしまうんだ。

みんな自分基準で幸せなはずなのに、否定したりあれこれ言うのは自分の幸せや生き方を正当化したいだけで、真から満たされているのではないと思う。

あとは人への尊重や自尊感情が足りないからかな。


どんな生き方もあるから、本人が好んでそういう状況ならそれでいいはずだけど。

それでも、なんだか気になる。こういうの子どもの時からいつもある。人間の感情が不思議であり、細かいところを見過ごせない。

(全員景色だと思えればいいけど、そういうわけにもいかず私の人生立ち止まってばかり。)


私はそれでも幸せな顔でいつもいて欲しいと思ってるんだと気づいた。

これは私の願望であり、本当の望みかもしれない。

地球のみんな1人残らず、心も体も豊かで幸せなままでいて欲しいと願っているから。ただのわがままだけど。

それが反映されて感情で吐き出されていたのかも。


私の愛からくる反応なら、嫌な気持ちになった分幸せを振りまきたい。それくらいのエネルギーでいつもいたい。

なんかここ2、3年のモヤモヤがとれた気がした。


前職と同じ仕事し始めてしばらく経った。
正職員で働くのはもう無理だ。


心身の回復に時間要して、クリエイティビティ下がるから、余裕なくなる。
どこかで卒業しよう。

移行期だ。
ボーナスステージに行くための最後の課題だ。
経済的に自立するまでは、これがベターな選択だったのかな。

2年ぶりに社会復帰して、3ヶ月経ちました。

割といい感じかもです。

ストレスかけすぎないのをモットーにしてるから、調子いいです。


それから、前働いていたときの、追い詰めるような感覚に引き戻されそうになるけど、忙しくさせてたのは自分の舵取り次第なので、余裕のある方へ選択できるようになった。

前もかなり仕事断ってそうしてたはずだけど、余裕がまだまだ足りなかった。

自分に負荷かける癖とか、1人でしようと思ってしまうことは多少あるけど、「あ、また、蝕む思考だ」と俯瞰的に気づけるようになって大成長!

私はもっともっとゆるくで私らしいと気づけた。


世間が求める仕事量は私はできない。

そういうやり方でしか、生きれないと思ってしまうのもよくないし、世間に合わせるとそういう社会が蔓延するからさ、未来の人たちのためにもよい決断だった。

社会に合わせすぎる生き方やめて大正解でした。

社会は人のためにあるの。

社会が多様な世界を守るべきだと思うから。変容すべきは人ではなくシステムだったり、方法だったりするのだから。