私、かなりの執着体質だったと思う。

それは好きなものや大切なものを過剰に自分のそばにおいて安心したかったからかもしれない。

確実に好きな感情に巡り合うことが少なくて、より特別で離したくなかったんだと思う。

自分と一体化するほどにしがみついて離したくなかった。


だけど、ここ数年で変わった。

今、そういうのが少しずつ薄くなってきている。

今を楽しむこと、今、目の前にある現実の中でも一つでも楽しめることを見出す能力をもてるようになったからだと思う。

そうしたら、自分が幸せな状態がいつも続いて、好きなものに執着する必要が少なくなった。

幸せを見つけるのが上手くなって、自分1人でも安心して生きられるような感覚が身についたんだと思う。


それから、好きなものは好きだけど、神格化みたいな感情にはならなくなった。

ただ、好き。それだけ。

幸せだから、もうそれでいい。

子どもの時見返りなく、好きでいられたあの感情だと思う。


今を生きることしかできない。

過去も未来も生きられないの。

人生は今をどれだけ楽しんで、毎日を大切にしていけるかにかかってると思ってる。

人から否定されたり、ジャッジされたりして、ひどく落ち込む。

以前よりそういうのキャッチしやすい。

毎回思うのはなぜかと思った。


多分私は人が喜んでるのを見ていたいし、感じていたんだと思う。

嫌なことされたとは思わないけど、否定されるたびその人たちが幸せそうじゃないから落ち込んでしまうんだ。

みんな自分基準で幸せなはずなのに、否定したりあれこれ言うのは自分の幸せや生き方を正当化したいだけで、真から満たされているのではないと思う。

あとは人への尊重や自尊感情が足りないからかな。


どんな生き方もあるから、本人が好んでそういう状況ならそれでいいはずだけど。

それでも、なんだか気になる。こういうの子どもの時からいつもある。人間の感情が不思議であり、細かいところを見過ごせない。

(全員景色だと思えればいいけど、そういうわけにもいかず私の人生立ち止まってばかり。)


私はそれでも幸せな顔でいつもいて欲しいと思ってるんだと気づいた。

これは私の願望であり、本当の望みかもしれない。

地球のみんな1人残らず、心も体も豊かで幸せなままでいて欲しいと願っているから。ただのわがままだけど。

それが反映されて感情で吐き出されていたのかも。


私の愛からくる反応なら、嫌な気持ちになった分幸せを振りまきたい。それくらいのエネルギーでいつもいたい。

なんかここ2、3年のモヤモヤがとれた気がした。


前職と同じ仕事し始めてしばらく経った。
正職員で働くのはもう無理だ。


心身の回復に時間要して、クリエイティビティ下がるから、余裕なくなる。
どこかで卒業しよう。

移行期だ。
ボーナスステージに行くための最後の課題だ。
経済的に自立するまでは、これがベターな選択だったのかな。