私の生い立ちですが、我が家は貧乏でした!
私の誕生日が19日、妹は27日これが地味に悲しくて…父の給料日が25日だったので、私は誕生日に当日祝って貰えなかったなぁ…。
親も隠さず、25日過ぎたら何か美味しいもの買おうね!って言ってて小学校1年生で既に給料日とお財布事情は知ってたし
高校からは育英会の奨学金を毎月3万借りて…
大学は毎年県内10名が貰える返還不要月5万の奨学金を貰える権利を得て…
バイトしながら無事卒業…
高校2.3の時は、電気代滞納で電気止まってる時もあって、期末テスト前、辛いなぁ…と思いつつも、神様が今日は早く寝たら?って言ってくれてるんだろうな…と解釈
でもさ、お金なくても困らなかった…!!
塾には行かなかったし(高3だけ何かスポットで何かを受けた気がするけど…)田舎暮らしだったからか欲しいものはそんなになく、惨めな思いはしなかった…。大人になったらお金持ちになりたいっ!そのために私は勉強頑張るぞっ!ってハングリー精神も育ったし。
そんなに貧乏じゃないかも…と思ってたけど、奨学金書類で父親の年収が325万を確認した時は驚いたっけ…。どうやって暮らしてるん!?って
(手取り250万くらいだよね、って当時計算出来てる自分の社会的理解が凄い…と思う(笑))
家も5階建て県営住宅、のエレベーターなし5階、だから何とかなったんだろうね。
それでも父親は車も持ってたし、キャンプや釣り、時々旅行…と子供時代は案外楽しかった!
貧乏自慢でもないし、このレベルだと日本には普通にいるレベル…のはず…でも、お金なくても困らなかったし、自分のアイデンティティにマイナスはなかった。むしろプラスだった気がする。
アマルティア・セン(アジア人初のノーベル経済学賞受賞者)によると、幸福度はその人が何を持っているか、ではなくて、何ができるか、ケイパビリティによるそうで…(←かなり噛み砕いてやや簡略しすぎてるけど)
(※明後日社会福祉士の国試でさ…使いたかったうんちく)
…今の何も不自由がない暮らしからみたら、主人の仕事の離職は不安だけど…。でも、持ってるものに注視するより何ができるか、どれだけ自由に楽しくいられるか、が幸せ量を決めるのは自分の過去を振り返っても理解できる。
…うん、何か大丈夫な気がする。
家族元気で、食べ物があれば、ここは日本だし大丈夫!!
ポジティブに、主人のearly retireと捉えようっ!
これ20代に買って読んでた…憧れてて。
憧れがやや遅れて到来するかも…!?