10年以上も(基礎研究もせず)ひたすら臨床だけやっていると、
心に残る患者さんというのが、ときどきいます。
先日93歳で亡くなられたIさんも、その一人。
6年近いお付き合いでした。
93歳という年からは考えられないバイタリティーと知的さで、
一人暮らしでしたが、もちろんご自身の身の回りはしっかりと、
日々の炊事、洗濯、掃除も手を抜かず・・。
毎回外来のときに持参する血圧手帳には
几帳面に朝夕の数字がしっかり並んでいます。
自宅から病院まで、毎回、徒歩と電車で、
二ヶ月に一回、40分以上かけて通われていました。
とても独立心の強い方で、都内に住む娘さん、息子さんから
同居の誘いがあっても断り続け、
「同居なんてしたら、かえってこっちが疲れちゃうわ」といつも笑ってました。
そのIさんと、きっかけは忘れましたが、
ときどき書簡をやり取りするようになりました。
こちらが恐縮するような、たいそうな心づけなどは一切なさらず、
けれど、外来のときに、
「あとで、お昼に食べてね」と焼きたてのパンをそっと置いて帰ったり、
娘たちの喜びそうな絵本を、もって来てくれたり、
そんな気遣いが本当に嬉しくて、
こちらもお礼の手紙を出したり、実家の物産品を送ったりしていました。
今年3月の外来のとき、Iさんから、改まって話があると切り出され・・。
この病院で30年以上お世話になってきた。
このまま死ぬまで診てもらいたいと思ってきたけれど、
年が年で、通院が大変になってきた。
子どもたちは送り迎えをするといってくれているけれど
彼らも忙しいし、そんなことで煩わせたくない。
これからさきもずっと先生がいるなら、無理してでも通おうかと思っていたが、
もしこの先、先生がいなくなったら、もう本当にダメだと思う。
まだ今のうちなら、体も動けるし、思い切って病院を移ろうと思う。
1月から家の近所の病院をいろいろ調べて
ようやく、納得して、みてもらえそうなところを見つけたので、
そこに手紙を書いて紹介してもらえないだろうか。
お侘びの言葉を口にして、涙ながらに話される姿を見て、
よくよく考えての事だと心を打たれました。
Iさんに会えなくなるのは寂しかったけれど、もちろん快諾しました。
Iさんの病気は、喘息と重度の大動脈弁狭窄症。
心臓の方は手術しないと本人が決断し、
内科的治療だけで長年経過観察していて、
すでにかなり心不全が進行した状態でしたので、
紹介状にはかなり詳しく病状を書きました。
けれど、その数日後、娘さんから、Iさんが自宅で転倒し、腕の骨を折って
近くの整形外科に入院となった旨、お電話がかかってきました。
心臓の状態が悪いので、腕の手術は出来ないといわれたとのことでした。
娘さんには以前に、心臓の状態について詳しく説明していましたが、
数日後、初めてお会いする息子さんが来院され、
自分も大学病院の循環器内科に通院しているので
今後はその先生に一緒に治療してもらおうと思う。
紹介状を書いて欲しいと。
おそらく、いまさら大学病院に通院するのは、
Iさんにとって本意ではなかっただろうと思いましたが、もちろんお書きしました。
その際、進行した心不全で、本人の強い希望もあり、
手術や積極的措置は行っていない事や、
家族の希望でそちらに転院の紹介をするが、
大変高齢であり、現在の保存的な治療のまま、
今後も経過を見ていただきたい旨を書き添えました。
2週間ほどして、そちらのドクターからのお返事が。
こんなに進行した状態で送ってもらっても、こちらも困る。
これからいろいろ検査してみるが、もう手遅れで
たぶん何も出来ない。もっと早く送るべきだ・・・。
文面から、かなりお怒りの様子が伝わってきます。
手紙を読んで、私はずいぶん落胆したのを覚えています。
こちらの伝えたい事は、とどかなかった。
いまになって、いろいろと検査を受けて、
主治医にこんな気持ちで診療にあたられているなら、
Iさんが気の毒で仕方ありません。
Iさんは、たぶん、もう、
病院に何かしてもらいたい、病気を完治させてもらいたいのではなく、
心穏やかに、自分の経過をみてもらいながら、
ほどほどの治療を、自分の管理できる範囲で、
続けてもらいたかっただけだと思うのです。
結局、本人が悩んだすえに決めてきた
家の近くの病院には一度もかかることなく、
大学病院の循環器内科に息子さんと通院。
4月末に整形外科を退院後は、自宅で一人暮らしを続けながら、
不自由さが残った手のこともあり、近所に住む妹さんが
ときどき様子をみにいっていたそうです。
5月の初めに自宅で倒れて、脳梗塞で救急病院に搬送。
その10日後、帰らぬ人となりました。
5月の下旬に、声に聞き覚えのない高齢の女性から自宅に電話があり、
私の名を問うので、「そうです」と答えると、
「Iの妹です」と。妹さんも、おそらく80代後半でしょう。
骨折をしてから亡くなるまでのIさんの様子を細かに教えてくださり、
連絡が遅くなった事をわびられました。
Iさんが、よく私のことを話していたそうです。
遺品を整理していて、私の手紙と
住所、電話番号を本人が書いた紙切れを見つけて
いてもたってもいられずに電話をかけたと。
聞いていて、涙が止まりませんでした。
最後にもう一度、お会いしてお話したかった。
Iさんは、本当に素敵な女性でした。
まちがいなく、彼女は、これからもずっと私の記憶に残る
患者さんの一人です。
この日記は、Iさんの想い出のために書きました。