「言葉で治療する」 鎌田實 を読みました。
医療者の言葉によって、傷つけられ、
不信を募らせてしまったたくさんの人たち。
コミュニケーションを断ち切る言葉の数々。
心の余裕のない医療者が増えていること。
医療にもホスピタリティーが必要という
筆者の立場に、いつもながら
強く共感しながら読み終えました。
私がいつも大事にしている
「だいじょうぶ」の力についても触れられていました。
喘息の専門外来をしていると、
重責発作で命を落としかけた経験のあるかたや
これまでの医療機関で「精神的なもの」といわれて
医療不信に陥っているかたに、よく出会います。
よく「病は気から」といいますが、
喘息も私の印象ではとてもナイーブな病気で
心の中に不安があれば、それが発作として
出てくる方が多いように思います。
これまでの医療機関でたくさん検査されて、結果が全て正常で、
「あなたの咳は気のせいだから」といわれてきた方の中にも、
実際にはベースに喘息があり、その不安から過呼吸もあり
発作のコントールがうまくできていない方もいます。
うつ病で自傷を繰り返すお嬢さんのお世話で
疲れ果ててしまっている方がいました。
その方自身も喘息の状態があまりよくなく、
発作を繰り返している状況でした。
気分的な落ち込みがあることを心配して、
臨床心理士との面談をセッティングしてみたところ、
二週間に一度のカウンセリングで、表情が明るくなってきて、
喘息発作も明らかに減ってきました。
大発作を起こしかけたとき、「ああ、これでらくになれる」って思ってしまった。
そのことが、ずっと心にひっかかっていた。
数回のカウンセリングの後、そのことを心理士に告白した事で
胸のつかえがとれて本当に楽になって、体が軽くなった。
先日、そんなことを、話してくださいました。
被医療者のひとりひとりに、医療に対する思い、
不信感、期待、おびえ、色々なものがあるのだと思います。
医療者>被医療者と一段高い位置から見るのではなく、
対等な関係作りをして、信頼を取り戻し、
「大丈夫」と「安心」を、たくさんたくさん提供できるような医療が、
これからの時代はもっと必要になってくるはずです。