2月9日。

血圧が60をきることもありアラームが鳴る。


父が来たので私は一度 家に帰る。


犬の世話をし、シャワーから出ると携帯の着信ランプが点滅している。




病院
病院





察した。
母に何かあったと。



父に電話をかける。


泣きながら
「スピード出すなよ。安全運転で来いよ」
と言われる。



片道約40分。
安全運転で病院に。




14時38分。
母が死んだと告げられる。

約一時間後の15時半に母の元に着く私。

ずっと一緒にいて、看取ることが出来ないなんて思わなかった。



冷静に看護師さんに、電話出れなくてすみません なんて挨拶した。


だけどずっと辛そうに顔を歪め呼吸していた母が、安らかな顔して寝ているかのような姿見ても死んでるなんて思えないよ。


温かいし。

でも名前を呼んでも反応がないわけで…現実なんだ…


号泣する父、
あまり泣かない娘。


看護師さん達から見たら変な光景だったはずです。


何度も看護師さんからは優しく声をかけてもらった。



決まった葬儀社さんがないので病院に紹介してもらって電話する…とか、荷物をまとめる…親戚に電話…とか。。。


泣いちゃって何もしない父がいるわけで…

私がやるしかなくて、泣く暇もない。



自分の車を運転して、母が乗る車を先導する。

家に母が帰ってきた。



昨年の10月9日に入院してから124日。


外出しか出来なかった母。

一時退院も、外泊すら出来なかった母。


おかえり~



病院がある市と、家の市が違うので葬儀社さんはまた別で父が話をつけた。


ここ数日、寒かったせいか葬儀社さんも忙しいようで夜までドライアイスを持って行けないと言われたらしい。
暖房はつけず待った。


ドライアイスをセット。


本当に忙しいようで火葬場の予定もまだ分からないので他の予定がまだたてられず。



夜は母の横で寝た。

2月1日。

泊まり込み6日目。


回診 医院長。
母の様子を見て、手元のボードを見て終了。


…なんか言ってよ。



しかし…
看護師さんは皆 優しいな。




2月2日。

泊まり込み7日目。

むくみがあるのでカロリー摂取の点滴が二本から一本に減らす。




2月3日。

泊まり込み8日目。

回診。
菌をやっつける新たな点滴スタート。
効いてほしいな。


私の元同僚Nさんがお見舞に来てくれた。


今日は祖母(母の親)の七回忌法要。
昨年、年内 退院が無理と決まったあとからは祖母の七回忌までに退院したいね と話していたな…



2月4日。

泊まり込み9日目。



2月5日。

泊まり込み10日目。

泊まり込みと言っても私は一度、昼近くに家に帰ります。
犬にちょっと遅めの朝御飯と自分のシャワーのため。
その間、父が仕事の合間に三時間ほど看ていてくれます。


我が家には犬が二匹います。
昨年はもう一匹いました。母の膵癌手術の直後に一匹 天国に(私が心奪われ家族の一員にしたシーズー犬)

今 家にいるのは、特に母になついているMダックス♀と特に父になついているMダックス♂の二匹です。

そんな♀のダックス犬が天国に。
硬直の様子から多分、昨日かと。


病院に戻ると看護師さんが寝たきりの母の頭をシャンプーしてくれてました。
熱が下がったのでベットに寝たまま洗える装置を使って洗ってくれてました。

二週間ぶりでサラサラになりました♪


悲しいことだけど、♀犬の報告を母にした。

最近は酸素マスクを外そうとする行為もなく、胸までかけた布団を足で蹴っ飛ばす行為もなくなってしまったけど…

耳は聞こえてると信じているので。




2月6日。

今日、明日は父の仕事が休みの為 父が今晩は泊まるとのことで朝早くに病院に父が来た。

私は母に
明日また来るからね☆
と告げ、昼前に家に帰る。

家に帰り、♀犬を庭に埋葬。
私の子(シーズー犬)の隣に。

溜まった洗濯をした。
洗いものをした。
ゆっくり寝ようと思ったけど病院が気になって結局 あまり眠れなかった。



2月7日。

朝、♂犬のシャンプーをした。

午後、病院へ。


父からの報告。
昨日の夜はヤバかった
血圧が100きってアラームが鳴り続けたんだ
と。
でも婦長さんに、腕がむくんでるから少し低めになってしまうから と声をかけてもらったそう。


夜は私が泊まる。
アラームの設定が下げられた。
100きると鳴ってしまうのを、90に。

三桁だった脈拍も二桁に。


2月8日。

父の友人がお見舞に。

私は父とバトンタッチで家に一度 帰る。


血圧が下がり、アラームが鳴りっぱなし。

徐々に設定を下げていく。

夜中は眠れないでしょう?と気を使ってくれたようで60に。

でも内心は複雑。



1月28日。

泊まり込み2日目。


昼すぎ
CTの結果に異常なし。


25日から続く高熱は感染症とのこと。


菌が体内に。


血小板が少ない。


ゆくゆく、ちょっとした怪我で血がなかなか止まらなかったり、ちょっとぶつけただけでアザが出来たりするようなことになる可能性もある。


個室のため、部屋にトイレはあるが1人じゃ行けないので夜 尿管をつける。
…が、今まで一緒に住んでいても聞いたことのないくらいの大きさの声で

「痛いよ、痛いよ!!」

と、叫ぶ母。


声も普段と違う。

看護師さんが終わったよ
と言うものの

「なんで痛いのよ!!」

と少し子供のような声。


初めて見る母の様子に何も言えない。


昨日は朦朧とするなかでも、生年月日が言えたが今日は言ってくれない。

でも目と目は合う。


急に不安になり、

私のことわかる?

と問いかけるも…


「知らないよー」

と言われた。



母の前で泣いてしまった。

泣いてる私を見ても母は何も言わない。




1月29日。

泊まり込み3日目。


朝の回診にて。


不安で不安で説明されたことが少々、右から左へ状態のため覚えている点を…


ある数値三種類が下がりきっていて薬を使っても数値が上がってこない。


最悪1日、2日で急変するかもしれない。



すぐに親戚に連絡。

母の職場の同僚Sさんからもちょうど母宛てにメールがきていた(勝手に読んだ娘です…)ので、電話にて連絡。

私をずっと支えてくれてるAちゃんにも連絡。



昨日は叫んでいた母。
今日は叫ばない。

生年月日などは、やはり答えない。

でも話かけると、いいタイミングでうなずく。

聞こえている。
ただ、思ったことを言えないだけなんだ…と思う。

絶対、聞こえてる。



他県に住む伯父さん、叔母さんが夜に来てくれた。


伯父さんが帰るとき、母が二回 ニコッと笑った。


伯父さんが帰ってから、伯父さんの3人の子供(母にとって甥っ子、私にとって従兄弟)の話を私がしてたら、母が1人の名前をハッキリと口にした。


嬉しい!!

でも…なぜに…

なぜに、私は知らないよー扱いで従兄弟はわかるんよ!!と突っ込む。



1月30日。

泊まり込み4日目。


深夜2時。

呼吸が少し変わったので様子を見ていた。

たん かな?と思いナースコールを呼ぶ。


看護師さんがくるまでの少しの時間で、たんじゃない…
何かおかしいことに気づいた。


震えている。


震えを通り越して痙攣している。


熱があがりきるまで電気毛布や掛け布団を何枚かかけ、血圧を測る。


熱が上がりきり、痙攣もおさまる。


そこからは、氷枕などで冷やす作業に。




朝の回診。

やはり、1日、2日かも…と言われる。



昼間、友達AちゃんとMちゃんが来てくれた。


お母さんも心配だけど、あんたが心配だから と。

疲れた顔してる って生まれて初めて言われたかも。

母が1日、2日なんて言われて何も食べる気がしなかったけど、友達から差し入れもらって気づいた。

私が倒れるわけにはいかない!!と。

今日からちゃんと食べます。




1月31日。

泊まり込み5日目。


回診にて。
点滴の管からモルヒネが投与されることになった。


モルヒネ、
FOY
この2つが一時間に何ミリ投与…な、残量が減ればアラームが鳴る機械つき。


母の周りは、機械が増えた。