毎日の出来事を書いてるブログですがいつもと違う書き方になります。


余裕なくてすみません。



母はまだまだ頑張ってます。



言葉のキャッチボールは今は出来なくなりました。





医師より

「最悪あと1日、2日ということもありえます」


と言われた。



血小板が減少し、体内に菌で侵されているとのこと。



やれる点滴は試したものの、数値は上向きになることもなく。




ただでさえ免疫力が落ちていたところに感染症になり、数値はドン底。


1日、2日と言われ、母の兄、妹を呼びました。


お兄さんが帰る時に母は笑ってくれました。







試せる薬は全て試したか…

今まで生きてきたなかで、高校受験でも運転免許の会場でも祈ったことないけど…



奇跡ってないかな?





神様がいるなら。





母に毎日、毎日、



明日をください。





明日がくればまた採血して数値結果に期待できる。







こんなブログですが、見てくださってる皆様ありがとうございます。




今、個室なので母の枕元で毎日イスに座って看病してます。


ケツが痛いですニコニコ


失礼しました…ニコニコ




母が今も頑張っていることをご報告させていただきたくて。




コメントくださった方へ。


本当にありがとうございます。

コメントがほしくてブログ書いてるわけじゃないけど、嬉しいものです…かなり。


母が落ちついたら改めてメッセージ送らせてください。


1月25日。

夕方からグングン熱が上昇。
夕方は37度。



徐々に震えも出る。

電気毛布も借りた。


面会時間は20時まで。



帰る間際に看護師さんが患者さんを巡回。


母の体温計を見た看護師さんがポツリと…


「っあ、40度もある…」



猛ダッシュで解熱の注射をとりに戻り、母の肩へ。


私は帰る。

そばにいたいけど。





1月26日。

午前中?お昼?胃カメラ。

合わせて、


胃に溜まったものを出す為の管が鼻から出てましたが、無事にとれました。


肩からでている点滴の管も、長期間 同じものの為 交換。



熱は37~38度。

熱のせいか、やや朦朧とした様子。






1月27日。(入院110日目)

母が膵癌と言われた昨年10月に続く衝撃。


病室へ行くとちょうど看護師さんが母を診てくれたあとで入口で少しお話する。

やや朦朧としている と言われる。


母の元へ。爆睡中。

目をあけた時に少し喋るも、やはり朦朧としている。

朦朧というか、眠くて仕方無いみたいな様子ともとれる。



私だけ看護師さんに呼ばれる。

そのまま担当医師H先生と別室で話し合い。





最初は良いことからでした。


胃カメラの結果が伝えられる。
胃はまだ荒れているが、小腸は綺麗です…と。

写真も見ましたが、白くなっていた潰瘍部分はなくなり通常のピンク色でした!!
十二指腸潰瘍は良くなりました☆





続けて言われたこと…


悪いこと。でも考えなきゃいけないこと。


今 続いてる高熱について。

まだハッキリわからないが、もしかしたら癌がリンパに広がっているから熱が出ているのかもしれない。

でも栄養がとれていない今 抗がん剤治療はとてもじゃないけどやれないと。


熱が出ているもうひとつの可能性は、感染症かもしれない。


弱っているときはその感染=菌にが防ぎきれず最悪…

濁されましたが、死ぬかもということ。



で、これから先について決断をというか考えておいてほしいと言われたこと。





最悪の時に呼吸器をつけるか、つけないか…と。



延命処置ですね。


延命…字のごとく命を延ばす。






こうも言われました。


膵癌は完治は難しい。←効くかわからない辛い抗がん剤治療も待っているということ。



苦しいことがたくさんあると。





呼吸器を一度つけたら外すことはできないので御家族で話し合って決めて下さい と。


そして、ご本人には聞けないことだから娘さん(ご家族)に…と。



私にだって聞けないよ。



そりゃ、生きててほしい。







でも囁くの。

辛い思いをさせても?

苦しませても?

もし本人は望んでいなかったら?



と。






ご本人に言えない…



だろうね。言えないよ。



本人の意志がわからないこと。

だから家族が決める。



どっちを選んでも、あとで後悔する。






それにお腹の中では時限爆弾のような癌が存在する。

爆発するか、不発かは誰にもわからない。







そして大部屋から個室へ移動。


今、泊まり込んでいます。



個室に移り、泊まるから犬の夜の世話は父に頼みました。明日の朝は帰らなくちゃ。


父への呼吸器についての話は、多分 心配で明日 来ると思うので母のいないところで言ってみます。




母の前では泣かない。


1月22日。

15時頃、病室へ行くと腸への点滴が終わった直後で高カロリー点滴のみになっていた。




毎回のようにダメもとで私が


「シャンプーする?」


と、聞くと母が頷いた!!




ちょっと時間を空けてからシャンプーをしました。





1月23日。

夕方やたらと暑がる。
熱は36、7度。


普段は母娘揃って、やっと36度。


入院してからは36、5度とか。


ここ最近は、やたらと暑がり微熱。


確かに病室は暖房で暖かい。


でも母より窓側にいるせいなのか私は、夕方はやや寒い。


母はパジャマ一枚。
私はほぼシャツ一枚+ババシャツ…


たぶん私の方が温かい服装かと思われる。




本当にここ最近やたらと暑がるので、腸の薬かモルヒネの貼り薬が関係してるんじゃないか…?と、ちょっと気になる私。。。


何でも疑問に思う私ですが、話しやすい看護師さんがいないから今度 聞いてみよう。





1月24日。

腸への点滴が終わった直後に病室へ着いた。


今日は日曜日。

外来もないし、リハビリをかねて一階を散歩しないか?と母を誘ってみた。



ちょっとお腹が痛いから、


「16時になったらね」


と15時55分に言われる。





16時。


…うつ伏せのまま動かず。




16時05分。


母、トイレへ。




無理矢理 歩かせて、夜中に体調崩れたら嫌だから内心 母から「行くよ!!」と言われるのを待つ私。



トイレから戻り、カーテンの隙間から私を覗く母。

…しかも、やや長めに。



行くよ!!の合図だったらしい(笑)



一階へ。


受け付けは明るいけど廊下などは暗い…


エコですな得意げ





一階にある図書コーナーを見る。



ホラー好きの私は、角川ホラーのスティーブンキング(?)の本にそそられるも、2巻と4巻しかなく諦める…

せめて1巻があればねぇ。



で、自販機でジュース買って病室に戻りました。


今日は少し腹痛はあるものの、楽な様子の母でした。