法起寺(奈良県生駒郡斑鳩町岡本) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

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昨日の続きですニコニコ


法輪寺から町道を東へ道なりに走り、奈良県道9号の法起寺西交差点を左(北東)に曲がり、次の法起寺前交差点を右(南、道幅狭いです)に曲がると左側に法起寺があります月見


法起寺『法起寺公式サイト(法隆寺公式サイト内)』『境内由緒書』より

聖徳宗の寺院。山号は岡本山。寺格は本山。本尊は十一面観音菩薩立像(10世紀後半の作で、国指定重要文化財)。聖徳太子霊跡第十七番札所。大和北部八十八ヶ所霊場第五十二番札所。

聖徳太子建立七大寺の1つで、別名岡本寺。創建は、推古30年(622年)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、御子山背大兄王に宮殿(岡本宮)を改めて寺とすることを遺命し、山背大兄王は大倭国田12町、近江国田30町を施入したと云う。その後、舒明10年(638年)に福亮上人が聖徳太子のために弥勒菩薩像一體と金堂を建立し、天武14年(685年)に恵施上人が宝塔の構立を発願し、慶雲3年(706年)3月に塔の露盤を作ったとされる。近年に行われた発掘調査では、岡本宮の存在が確認された他、中門を入って右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左右から堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推察されている。

奈良時代に全盛期を迎えたが、平安時代に至ると法隆寺の末寺となり、徐々に衰微したが、鎌倉時代に講堂や三重塔が修復されている。しかし、室町時代に再び衰え、江戸時代初期には三重塔を残すのみとなったと云われる。

その荒廃を憂いた真政圓忍上人を中心に再興を発願し、延宝6年(1678年)に三重塔を修復。その後も寺僧たちの尽力により、元禄7年(1694年)に講堂を再建、文久3年(1863年)に聖天堂を建立して現在の寺観が整備された。明治時代に至り、法隆寺と共に真言宗の所管となったが、明治15年(1882年)に法隆寺が興福寺と共に法相宗へ改宗したのを機に、法相宗の小本山となった。その後、昭和25年(1950年)、法隆寺が聖徳宗を開宗したため、法起寺も聖徳宗の本山の1つとなり、昭和47年(1972年)から3年かけて三重塔の解体修理を行い、昭和53年(1978年)に講堂の修理、昭和57年(1982年)に重要文化財の十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新築して、現在に至る。

境内にある三重塔が国宝、所蔵する木造十一面観音菩薩立像・銅造菩薩立像(奈良国立博物館に寄託)が国指定重要文化財、境内全域が国指定史跡に指定されています。

拝観するには庫裏に併設された受付(山門脇)で拝観料を支払う必要がありますニコニコ



山門(西門)月見

御朱印月見

受付で御朱印帳を預ける必要があります。帰りに声を掛けると御朱印帳を渡してくれますニコニコ

池🌊


聖天堂月見

参道の左側にありますニコニコ

鐘楼跡月見

聖天宮の向かい側、池の奥にありますニコニコ


三重塔(国宝)月見

参道の正面奥にありますニコニコ

石灯籠月見

講堂前に1基のみありますニコニコ


講堂月見

聖天堂の右奥にありますニコニコ



収蔵庫月見

講堂の左側にありますニコニコ




境内月見

境内の右奥が広くなっていますので、もしかすると何かしらの建築物があったのかもしれませんニコニコ

南大門月見

こちらから出入りすることは出来ませんニコニコ

休憩所月見

受付前にありますニコニコ

境内は狭いです。駐車場は県道沿い(寺の北側)にありますウインク

この後、法隆寺から南のほうへ向かいました照れ