法輪寺(奈良県生駒郡斑鳩町三井) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


先月末、久々に奈良まで行ってきましたニコニコ


また雨でしたけど笑い泣き


豪雨じゃなかっただけでもてへぺろ


では、最寄りの場所から辿りますニコニコ


斑鳩町の中宮寺東側の町道を北へ道なりに走ると正面に法輪寺があります(町道はカーブして東のほうへ抜けます)月見


法輪寺『法輪寺公式サイト』『境内由緒書』より

単立(『納骨堂info』で確認)の寺院。山号は妙見山。本尊は薬師如来坐像(飛鳥時代の作で、国指定重要文化財)。聖徳太子霊跡第十六番札所。大和北部八十八ヶ所霊場第五十三番札所。大和路秀麗八十八面観音巡礼札所。

別名三井寺。創建時期は2説あり、飛鳥時代に聖徳太子の御子山背大兄王が父の病気平癒を願って、その子由義王と共に建立したと伝え、もう一説は、天智9年(670年)斑鳩寺焼失後に百済開法師・圓明法師・下氷新物の3人が合力して建立したと伝わる。昭和25年(1950年)の発掘調査によれば、法隆寺式伽藍配置で、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であることが明らかとなり、7世紀中頃には寺観が整備されていたとされる。平安時代に最盛期を迎えるも、その後は次第に衰退し、江戸時代初期には三重塔を残すのみとなったと云う。享保年間に至り、再建の機運が高まり、寶祐上人によって妙見菩薩信仰の熱心な信者や大坂商人の寄附により、現存していた三重塔を修理。その後に講堂・金堂等も順次再建され、長い年月をかけて現在に至る伽藍が再建されていったと云われる。しかし、昭和19年(1944年)7月21日に落雷により三重塔が焼失。直後に再建を発願したが、全焼のため、国宝指定は解除となり、独力での再建を目指し、昭和50年(1975年)、焼失前の塔と同じ場所に再建して、現在に至る。


境内にある西門が奈良県指定文化財、所蔵する薬師如来坐像・虚空蔵菩薩立像・十一面観音菩薩立像・弥勒菩薩立像・地蔵菩薩立像・吉祥天立像・鴟尾瓦・(ここより非公開)龍鬢褥・塔心礎納置銅壷・宝塔文磬が国指定重要文化財、釈迦如来坐像・錫杖頭が奈良県指定文化財に指定されています。


拝観するには山門脇の受付で拝観料を支払う必要がありますニコニコ


御朱印月見

受付で御朱印帳を預けると引換札をもらい、帰りに札と交換で頂くことが出来ます照れ



山門月見




三重塔月見

山門を潜って左側にありますニコニコ

金堂月見

三重塔の向かい側にありますニコニコ

鐘楼月見

金堂の右奥にありますニコニコ





講堂月見

山門から真正面にありますニコニコ



妙見堂月見

講堂の右奥にありますニコニコ

地蔵堂月見

妙見堂の右隣にありますニコニコ

境内月見

庫裏月見

講堂の左隣にあり、撮り損ねたのですが、西門が庫裏の左側にありますニコニコ

境内は狭いです。駐車場は山門手前右側と左側の観光用駐車場がありますウインク

この後、少し東のほうへ向かいました照れ