日吉神社(古座川町高池) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


昨日の続きですニコニコ


河内神社駐車場から来た道を戻り、左側に河内橋が見える分岐を左(北)に曲がって古座川を渡り、突き当たりを右(南東、県道228号)に曲がり、道なりに行くとカーブになっている左側に日吉神社があります⛩️


日吉神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神 大山咋命

旧牟婁郡三前郷池口村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「山王權現三社」と記され、『紀伊続風土記』に「村中にあり、中湊西向神川三箇村の産土神なり。社は當村領あれとも當村の産土神にあらす。拝殿あり、應永元年十二月小山五郎左衛門隆春の一族勧請の棟札あり。土人傳へいふ、小山氏山王を信仰して領地の内、今の社地を見立て造營し、一族共に氏神とせし社にして中湊等三箇村は一族多かりしかは今に至るまて三箇村の氏神とするなり。後、寛永十七年高川原攝津守の末葉六右衛門尉再建に依りて祭禮の座に小山の子孫を左の上座とし、高川原の子孫を右の上座とす。什物本地佛の鏡八面木像二十一躰あり。又地引網一帖あり、古より宮に属し網にて祭禮の前日には供物の鯛を漁る網なりしに今稼網となり、中湊網といふ。中湊村は海村ならされとも此一帖は漁事をなすことを免さる」と記されている。

公式サイトによれば、寛永の再建後は、延宝元年(1673年)、西向浦小山隆重が社殿を修復し、元禄8年(1695年)に中湊村正法寺前住職自覚上人が21体の木像を合祀し、首座となって供養する。元禄16年(1703年)正月、池口村中西勝行(江戸時代後期の当主は中西孫左衛門(紀州藩地士で大庄屋)。『紀伊続風土記』に「家系にいふ。天正年間攝州池田城主池田筑後守正久の子八郎三郎勝政、荒木村重に押領せられ、其子吉兵衛勝恒當村に遁れ居住す。慶長年間海部郡小雑賀村中西氏を養子として氏を改む。其裔四代大荘屋役を勤め、代々地士たり」と記されている)が石燈籠を奉納。宝永4年(1707年)6月、池口村中西勝政が石造手水鉢を奉納する。

正徳3年(1713年)、拝殿を再建。享保11年(1726年)、鳥居を造営。文化7年(1810年)12月、本殿造営。天保8年(1837年)3月、本殿及び拝殿を修復。慶応元年(1867年)、鳥居を再建。明治15年(1886年)、参道を改修し、本殿を造営。明治29年(1892年)、本殿修復。大正2年(1913年)、屋根を修復する。大正12年(1923年)、道路拡張のため、境内の石垣及び鳥居を撤去。 昭和25年(1950年)3月、境内地譲与される。平成3年(1991年)5月、羽山製材店主奉納による鳥居を再建して、現在に至る。

鳥居⛩️

手水鉢⛩️

神門⛩️


本殿⛩️

地蔵堂月見

社前にありますニコニコ

境内は狭く、指定の駐車場もありません(隣に空き地がありましたが、私有地の可能性もあるため、止めるのは控えました🙇)が、近くに古座川町役場の駐車場がありますウインク

この後、少し東のほうへ向かいました照れ