河内神社(古座川町宇津木) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


昨日の続きですニコニコ


最寄りの場所から辿りますウインク


串本町の国道42号の西向交差点から北(県道38号)へ走り、左側にあるJRきのくに線古座駅を過ぎてすぐのT字路を左(最初道幅狭いですが、途中から広くなります)に曲がって道なりに行き、右側に見える河内橋がある分岐を真っ直ぐ(県道228号)行くと右側に河内神社の参道があります⛩️


河内神社『和歌山県神社庁公式サイト』『み熊野ねっと公式サイト(熊野観光サイト)』『紀伊続風土記』より

祭神 素戔鳴尊

別名清暑島(伊勢津藩儒学者斎藤拙堂(1797年~1865年)が命名したと伝わる)。旧牟婁郡三前郷宇津木村に鎮座し、『紀伊続風土記』に「村の己の方古座川中にあり、高さ十五間許、周五十間許の巌山の小島なり。これを神とし祀り、高川原古田宇津木月野瀬四箇村の氏神とす。古より土人此島に登りしことなく島中の草木にかりにも手を觸ることなし。岸頭の巌高さ三十間横山足五十間許を境内とす。祭禮毎年六月初丑日氏下悉古田村の川原より拜をなす。祭式は前夜に古座川より鯨舟三艘に星形を作り装ひに美に○して登り舟を謡ひ、河内明神の島を廻り、夜明けて當日の晝頃川を下るといふ。其餘種々の俳優等あり、遠近の諸客つとひ來りて甚賑し、日置浦より新宮まての間に此祭に次く祭なし。此を古座の河内祭といふ」と記されている(○は字崩れて読めず)。

公式サイトによれば、大昔より崇敬され、島を御神体として島上に上ることは許されなかったと云われる。素戔鳴命を祀り、源平合戦の際、源氏方に水軍を率いて参戦し、戦功を立てた。その戦勝を祝う祭が御舟祭の由来と伝わる。

伝承されている古座御舟祭(古座獅子保存会・古座川河内祭保存会)・河内祭の保存行事が国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

境内入口⛩️

文化財の説明板⛩️

参道⛩️

このまま古座川の河原に出ますニコニコ

本殿⛩️

島全体が御神体であるものの、明治時代のような厳格なものではなく、夏には子供たちが島に登って遊んでいるそうなニコニコ

対岸に大正時代に造営された遥拝所がありますが、島の東側に造られた鳥居(トンネルの西側)は遥拝所ではなく、上流から流した材木をせき止める網場を島に造ったので、神霊を鎮めるために材木組合が近代に設置したものだそうです(『み熊野ねっと公式サイト(熊野観光サイト)』より)びっくり


古座川🌊

島を含むので境内は比較的広いです。駐車場は社前にありますニコニコ

この後、対岸に渡って東のほうへ向かいましたウインク