丹生神社(高野町上筒香) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

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昨日の続きですニコニコ


丹生神社(富貴鎮座)から県道732号を南へ走り、途中の分岐(道路案内の青看板がある)を右(県道733号)に曲がって丹生川に沿って道なりに行くと丹生川に架かる宮前橋を渡ってすぐ右側に丹生神社(上筒香鎮座)があります⛩️


丹生神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神 丹生都比売命

境内社 厳島神社、竃神社、牛頭天王社

旧伊都郡筒香荘上筒香村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「丹生四社明神社」と記され、境内は周3町半(約381メートル)。『紀伊続風土記』に一文あり、「村の西三町餘にあり、一村の氏神なり。祭禮六月十一月十一日」とだけ記されている。

公式サイトによれば、造営時期は不詳ながら、『播磨国風土記』に神功皇后が三韓征伐の際、丹生都比売命の神託で勝利したため、同神を紀伊國管川藤代之峯に鎮座したと記されており、『紀伊続風土記』に「上筒香東富貴和州坂本村三村の界にて高峰なり。水呑峯又石堂峯又子粒嶽ともいふ。上筒香より川上東へ登り三十町其中間に御神岩といふあり。里老傳へて天照大神顯れ給ふ地なりといふ。又御神岩の上にふくりとりといふ瀧あり、高さ十間許。里老傳へて狩塲明神の臘し給ふ所なりといふ。按するに天照大神は丹生明神の訛傳にして此山は即播磨風土記に所謂管川藤白峰にして神功皇后の御時丹生都比賣神始めて鎮まりまし地なり。里老古書の事は知らされとも藤白の嶽といひ、又天照大神の顯れ給ふ地狩塲明神の事なといふ。皆古き傳の展轉して訛れるなるへし。播磨風土記の全文及丹生明神の事詳に天野荘丹生神社の條に辨せり」と記されており、現在の筒香の東、奈良県境の山付近と推察され、かつらぎ町天野鎮座の丹生都比売神社の旧鎮座地と思われる。

明治6年(1873)、村社に列し、平成2年(1990年)の遷宮では、本殿の修理・社務所と拝殿の併設・鳥居の改築・手水舎の改修・境内の整備等が行われて、現在に至る。


鳥居⛩️

手水舎⛩️

拝殿⛩️

社務所を併設していますニコニコ

石灯籠⛩️

左右一対ありますニコニコ

鳥居(二ノ鳥居)⛩️

本殿⛩️

境内は狭く、指定の駐車場はありませんが、境内に入れますニコニコ

この後、少し西のほうへ向かいましたウインク