丹生神社(高野町東富貴) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

昨日の続きですニコニコ

瀧不動から県道732号(途中で道幅がかなり狭くなりますが地区の中心部は広めです)を道なりに走ると左側に丹生神社(北隣に富貴小中学校)があります⛩️

丹生神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神
(主祭神)丹生都比売神
(副祀神)仲哀天皇、蛭子命

境内社 地主八幡神社、衣比須神社、名迫明神(飛び地、東富貴鎮座)

旧伊都郡富貴荘東富貴村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「丹生四社明神社」と記され、境内は周6町許(約654メートル)。『紀伊続風土記』に「上村にあり、一村の氏神にて大樹の森なり。宮作も宜し。本社の左に地主八幡宮あり、右に衣比須社あり。古此荘市あり、今西富貴に市塲の井戸といふ名殘れり、衣比須社舊其地にあり、市廢する後此に移せり」と記されている。

公式サイトによれば、造営は文明10年(1478年)と伝わり、かつらぎ町天野鎮座の丹生都比売神社の『丹生大明神告門』によれば、伊都郡奄大村に降臨した丹生都比売神が、紀伊・大和を遷幸したとあり、このうち、宇智郡布々支丹生に忌杖刺給ふとあるのは、この富貴の地のことであり、同神を勧請したと伝えられている。

明治6年(1873年)4月、村社に列した。平成6年(1996年)10月の遷宮では、本殿の修理・社務所の建替・参道の整備・石灯籠の建立等が行われて、現在に至る。


鳥居⛩️

参道⛩️

百度石⛩️

手水舎⛩️

神門⛩️

本殿⛩️


境内社⛩️

社務所⛩️

舞台⛩️

境内⛩️

境内は狭く、指定の駐車場はありませんが、鳥居前に若干のスペースと裏から境内に入れるようです(実際入れるかどうか神社のほうに確認をお願いします)ニコニコ

この後、 地区の中心部から県道をさらに南に下ると山中の道路沿いに石碑がありましたびっくり


中岩照一・山本邦夫顕彰碑月見

紀伊之國十三佛霊場開創に尽力したとして、昭和56年(1981年)に晃徳沙門師(真言宗高野女人派代表)によって建立されたようですニコニコ

この県道の先にある林道の入口に帰命院という高野女人派のお寺があるのを確認できました照れ




周りに人家等はありませんが、橋の先の山中に廃墟らしきものがあるのは航空写真で確認できましたニコニコ

この後、西のほうへ向かいましたウインク