相賀大神社(橋本市市脇2丁目) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

昨日の続きです(*'∀`*)v

愛宕権現から国道24号を西へ走り、山田橋東交差点を右(北)に曲がり(左側に「相賀大神社」の案内表示があります)、JR和歌山線の橋梁を潜ると正面に相賀大神社があります初詣2

相賀大神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神   天照皇大神、伊邪那岐神、伊邪那美神

合祀社    戎神

旧伊都郡相賀荘市脇村を通る伊勢街道の北に鎮座し、4箇村(市脇・東屋・寺脇・野)の産土神。江戸時代後期の社号は「総社三部明神社」と記され、境内は3町(約327メートル。社から遊覧所まで)。『紀伊続風土記』によれば、神宮寺の記載は無し。

相賀荘が根来寺領であった時、荘の鎮守として勧請した。『高野参詣記』によれば、平安時代、関白藤原頼通が高野山へ参詣する際に休憩のために立ち寄った時、境内で惣社の市と呼ばれる市場が開かれていたと記されている。

境内に古い石灯籠(和歌山県指定文化財)があり、「正平十年十一月一日」と彫られており、銭坂城主生地(おんじ)氏(坂上田村麻呂の末裔で、江戸時代初期に帰農した)が建立したと伝わる。正平年間(1346年~1370年)、生地・贄川の両氏が産土神を称した事で相賀荘29箇村の総産土神として勢力を誇り、神主は生地氏が担ったと云う(江戸時代後期の神主は山本氏)。しかし、兵火のために古文書や神宝の大半が焼失して失われたと云われる。また、境内には鐘楼があり、梵鐘(橋本市指定文化財)は元禄13年(1700年)に同荘柏原村在住の鋳物工長兵衛の作と云われる。

参道初詣2

参道脇の小社初詣2

境内初詣2


石灯籠(和歌山県指定文化財)初詣2

百度石初詣2


鐘楼(梵鐘が橋本市指定文化財)初詣2

手水舎初詣2

拝殿初詣2

社務所初詣2

鳥居・本殿初詣2

実は再訪ですガーン

石灯籠と本殿を撮り忘れていたので、アップするのを控えていました354354

3回目の橋本散策でようやく行くことが出来ました(*'∀`*)v

神社の背後に古墳があるそうで(古墳は無知に等しい(´-┃)、古墳を含むと境内は相当広いかと思います。指定の駐車場はありませんが、境内へ入れます好

この後、さらに西のほうへ向かいましたキャッ☆