おはようございます(´・ω・`)
夜勤帯真っ最中なので、予約記事です
昨日の続きです
嵓上神社から国道425号を北へ走り、国道を道なりに行くと松原地区に入り、切目川に架かる橋の手前左側に農協があり、その裏に眞妻神社があります
眞妻神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より
祭神
(主祭神)丹生津叱売命
(配祀神)誉田別命、金山彦命、天児屋根命、伊邪岐那命、大日霊女命、春日神、皇太神、倭武命、妙見神、国常立命、柿本人磨、衣通姫、コソノ神、住吉神、菅原道真、長谷神、熊野大神、表筒男命
合祀社 若宮八幡神、天皇神、住吉神
旧日高郡切目荘松原村の端にある眞妻山の尾績に鎮座し、8箇村(脇ノ谷・松原・丹生・崎原・皆瀬川・下津川・神野川・見影)の産土神。江戸時代後期の社号は「眞妻明神社」と記され、境内は周3町26間(山林を含む、約373メートル)。『紀伊続風土記』によれば、神宮寺の久米寺(浄土宗、山号は丹生山、本尊は地蔵菩薩)が建立されていたが、江戸時代後期の時点で廃されている。
伝承によれば、眞妻明神は伊勢の丹生より鳶に乗って眞妻峯に降り立ち、鳶を崇め祀ったことで神の使いとされ、人々は鳶を捕ることはなかった。しかし、後に争いが起きて、社を各村に移し祀ったことで8箇村の氏神となった。その後、真妻山の山頂から松原の神田(800年代)に輿を進め、そこから現代の地に鎮座した。「永正九年(1512年)丹生山久米寺律師法眠重譽」の祝文に「日高郡切目庄大山郷取分松原村年間崇敬真妻大明神申奉御神」と記されている。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治10年(1877年)~明治41年(1908年)の間に、和歌三神社(旧切目川村見影鎮座、現・印南町美里)・熱田神社(旧切目川村脇之谷鎮座、現・印南町美里)・真妻神社(印南町丹生鎮座)・大神社(印南町崎ノ原鎮座)を合祀した。
鳥居
手水舎
変わった造りをしています
百度石
長床
石灯籠
左右一対あります
境内
流鏑馬でも出来そうなぐらいの長さがあります
拝殿
左側が社務所になります
小社
境内は比較的広いですが、駐車場はありませんので、交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうが良いかと思います
強風で境内に多くの枝が落ちてきていました
自然の力には誰も勝てませんね
この後、さらに東のほうへ向かいました