小田神社(橋本市高野口町小田) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)

昨日の続きです(*'∀`*)v

名倉八幡神社から国道24号を跨いで南下(名古曽交差点を直進)し、2つ目の信号(右脇にかつらぎ警察署高野口幹部交番)を左(東)へ曲がります。2つ目の信号(少し直進すると右側にコメリ)を右(南)に曲がって四つ角を左(東)に曲がると左側に小田神社があります初詣2


小田神社『和歌山県神社庁公式サイト』『紀伊続風土記』より

祭神
(主祭神)物之部武彦命
(配祀神)蒼稲魂命、国保食命、猿田彦命、市杵島姫命、誉田別命、大日霊命、素盞鳴命、日本武命、香津知命

合祀社    稲荷神、国保食神、猿田神、香津知神

旧伊都郡官省符荘小田村に鎮座し、江戸時代後期の境内は周2町(約218メートル)。『紀伊続風土記』によれば、神宮寺の記載は無し。

創建時期は不詳だが、7世紀頃と推察され、小田連が大和からこの地に移り住み、その祖先である物部建彦命(宇摩志麻治命の13世孫)を祀ったことに始まる。

『延喜式神名帳』に「伊都郡小田神社」、『本国神名帳』に「伊都郡従五位上小田神」と記され、格式の高いことが窺える。古くは大社であり、境内も方4町あり、神領も広大であったとされるが度重なる戦乱により衰退し、社殿も荒廃したとされる。その後は仮殿を設けて祀られていたが、江戸時代に至り、紀州藩主徳川頼宣の命により境内に石の宝殿を造営し、「小田神社」の4文字を刻んだと云う(現在の御神体)。

また、『紀伊国名所図会』の「小田神社」の項に、
「守ります小田の御神の恵みとも しらでやしづがをしねかるらむ(読人しらず)」
「玉だれのをだの宮居はあれにけり 昔にかへすますらをもがな(小田牛雄)」
の2首が掲載されている。


鳥居(一ノ鳥居)初詣2


手水舎初詣2




拝殿初詣2


由緒書初詣2


百度石初詣2


旧跡初詣2


鳥居(二ノ鳥居)初詣2




本殿初詣2


境内初詣2

境内は比較的広く、ベンチや遊具等も置かれています。駐車場はありませんので、交通の妨げにならない場所に置かれて歩いて行かれるほうがよろしいかと思います好

この後、さらに南の住宅街へと入りました(*'∀`*)v