
例の場所に行った後に久々の散策固め打ち

○旧伊達家屋敷跡
○矢宮神社
○金蔵院
○高皇神社
○円珠院・愛宕大権現
ですね

道の狭いところが多かったので随分歩きましたが


少しは脂肪燃焼させないと転職にも響くでしょうし

順番に行きますね

まずは和歌山城麓にある国道(旧和歌道)を南下すると右側に日赤医療センターが見え、日赤を過ぎると左側に寺町通りが見えてきます

その寺町通りを過ぎたあたりに紀州藩士伊達家の屋敷があったと言われています(『額田版紀伊国名所図会』より)。

現在は本町のフォルテワジマを運営する和島興産の建物(2016年現在は解体して空き地)があります

現地に碑とかは無いため、文献だけが頼りです


『和歌山城下町絵図』には伊達家の向かいには紀州藩家老三浦長門守下屋敷があったと記されています

紀州伊達家は仙台伊達家の傍系であり、駿河伊達家より出た伊達盛次が大坂夏の陣の後に紀州藩主徳川頼宣に仕えて別家を興したことに始まる。幕末に伊達宗広、陸奥宗光父子を輩出して明治維新に多大な功績を与えた。その他、縁戚関係には宗光の従弟に当たる岡崎邦輔(農林水産大臣)、宗光の娘婿に中島信行(男爵)、宗光の次男潤吉は古河鉱業2代目社長として手腕を奮ったという。
旧伊達家を東に向かうと旧大村家住宅、南に下ると和歌山城の南外堀(旧新堀川)があり、現在の新堀橋から神明神社、万性寺近くまで堀があったようですが謀反を疑った幕府の命により埋め戻されて「堀止」の名が付き、堀自体も大正12年(1923年)に埋められて道路となり「新堀」の地名だけが残っています

和歌山の地名は昔ながらのものが多いのでわかりやすくていいです

明日はさらに南にあり、雑賀衆ゆかりの矢宮神社を紹介します

