神明神社 | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

こんばんはニコニコ

今日市役所に行った帰りにちょい寄り道長音記号1走る人

和歌山城の堀がここまであったということで名付けられた「堀止」

その近くに城の裏鬼門を封じた神明神社がありますひらめき電球

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神明神社家『和歌山県神社庁公式サイト』より。

祭神 天照大神 豊受大神

古くは吹上の山に鎮座させられ、天正13(1585)年に紀州を平定した豊臣秀吉が和歌山に来て、「当国平安利運長久のためなればとて表指の鎬矢に願書を添えてぞ納めける」とある。

その後、紀州藩主となった徳川頼宣により、城下町の裏鬼門の守護神として、寛永5(1628)年9月に神社造営を始め、同年12月に此の地に遷せしと伝わる。

吹上、今福、砂山地区の産土神として、また家内安全、商売繁昌、諸願成就の神として、その信仰は驚く程で参詣人はそのあとを絶たずと言われる。

もっとも此の地はその昔に吹上荘と称し、小高き山丘にあり、南北に連り、西側は波打際で海に面していたと言う。

また、吹上枯松の跡とも称し、社頭に松の枯木あり、その松を吹上袖摺松と唱えまた業平袖摺松とも言う。
往昔社前を通行する人皆その松の枝に袖を触れるをもってその名を付したりと。

鳥居のたもとに「吹上袖摺松」の石碑を存す。

以上のように、紀州家とは最も因縁深く、維新までは毎年旧正月には紀州家より四張の提灯を寄進(葵紋章入)があり、重臣の渡辺家よりは神庫の寄付があり、建立される等、神社の発展には紀州藩の崇敬があった。

その他、遥か昔に皇族の御親拝があり、御紋章を授けられたりとも伝わる。

即ち社務所の鬼瓦竝に丸形の軒瓦はその一部とも言う。

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参集所から境内を撮る。正面が拝殿、右側が恵美須神社。

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振り返って鳥居を撮る。鳥居を潜るとすぐに階段があり、高台になっています。

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平成7年に植えられたという「袖摺松」

西日のため、写真映りが悪いところもありますがご容赦願いますニコニコ

猫の子一匹いない静かな神社でしたニコニコ