【画像差替】九十九王子巡り⑨藤白神社・藤代王子(海南市藤白) | ゆきまるのブログ

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祓戸王子から熊野街道を南に下ると藤代王子(藤白神社)に至ります長音記号1走る人

【令和3年4月14日画像差替】
藤白神社家『和歌山県神社庁公式サイト』より

祭神
(主祭神)櫛玉饒速日命
(配祀神)熊野坐大神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、天照大神、祓戸大神

境内社 子守楠神社、有間皇子神社、恵比須神社、祇園神社、住吉神社、塩竈神社、秋葉神社、巳神社


熊野古道「藤白坂」の入口、海南市を眼下に遠く和歌の浦を見晴らせる太古さながらの楠の大樹に擁かれた当社の由緒は古く、斉明天皇が牟婁の湯(現・白浜湯崎温泉)に行幸の際、この地に神祠を創建されたという。その縁で19歳という若い命を藤白坂に散らした(『日本書紀』斉明天皇紀)有間皇子を神社に祀り、毎年11月11日に有間皇子まつりを斎行している。

聖武天皇が玉津島行幸に際し、行基を神社に参らせ、熊野三山に皇子誕生を祈願させたところ、高野皇女御誕生、よって母である光明皇后は神域を広め整え、三山の御祭神を勧請してここを末代皇妃夫人の熊野遙拝所と定められたことから、子授け、安産、子育ての守護神として崇められてきた。境内の千年楠を子守楠神社(熊野杼樟日命)として祀り、古来畿内各地から子が生まれた時、祈願して楠・藤・熊の名を受けると長命して出世するといわれた。後の偉人、南方熊楠もその一人と伝わっている。

孝謙天皇が玉津島行幸の際は、熊野広浜供奉し、祖神である当社に詣で「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と号した。以来、「藤白王子」、或は「藤白若一王子権現社」と呼ばれ、「藤代」とも表記された。平安から鎌倉にかけての時代、熊野信仰が高まる中で、熊野一の鳥居として熊野九十九王子中最も格式の高い五躰王子の一となり、熊野聖域への入口、門として祓戸王子を鳥居の近くに設けた。歴代上皇法皇の熊野御幸は延べ140回にも及ぶが、当社に必ず休泊され、特別な催事が行われた。

『吉記(藤原経房)』承安4年(1174年)9月25日の条で「藤白王子に於て里神楽を行い 白米を給ふ 宝前信心殊に凝らす 感応の甚だしきなり」とあり、藤原定家は建仁元年(1201年)『後鳥羽院熊野御幸記』10月8日に祓戸王子から御所へ3町ばかりの小宅泊、翌9日「天晴 朝出立頗る遅々の間 王子御前に於て御経供養等有と云々 白拍子の間 雑人多く立隔て路無し 強に参る能はず 逐電し藤代坂を攀じ昇る 五躰王子 相撲等ありと云々」と記し、同日、藤代王子和歌会、詠二首倭歌(題深山紅葉 海辺冬月)の後鳥羽院の詠草は国宝「熊野懐紙」として残り、境内に歌塚と歌碑が建つ。

また『頼資卿熊野参詣記』健保4年(1216年)年3月13日の条で「申の刻 藤代神主宅に著く 望海の窓あり 自然日想観を凝らす」とか『修明門院熊野御幸記』承4(1210)年4月25日条は「藤代王子に参御す 五躰王子に依り御先達已下馴子舞あり 但御神楽 本社八女八人云々」と巫女が置かれていたのもわかります。



鳥居(一ノ鳥居)⛩️

鳥居(二ノ鳥居)⛩️

石灯籠⛩️

左右一対あり、境内に多数ありますニコニコ

手水舎⛩️

芭蕉翁藤塚⛩️

もとは祓戸王子社内にあったとされ、芭蕉を尊敬する二夕坊が建立したとされる。



御歌塚⛩️

後鳥羽上皇建仁元年、熊野御幸の際に催された藤白王子和歌会の熊野懐紙が納められている。



聖皇三代重石⛩️

平安時代、宇多・花山・白河の三上皇の熊野御幸を記念して建立された。

宮水「紫の水」⛩️

川の上流に日に映えて紫に輝く石があり、土地の人々は自然の真水の恩恵として「紫の水」と呼ばれるようになったという。

儀式殿⛩️


境内社(楠神社)⛩️

古来「子守の宮」として広く信仰され、この神様から楠・熊・藤等の名前を授かる人が多い。南方熊楠もその一人と言われ、背後のクスノキは霊木と伝わる。


社務所⛩️

拝殿⛩️

本殿⛩️

境内社⛩️

境内社(白竜社)⛩️


円座石⛩️

白竜社の左手前にありますニコニコ

境内社⛩️

旧社号碑⛩️

北鳥居脇にあり、「これより熊野路の初め」と刻まれており、熊野三山の入り口と言われたとされる。


鳥居(藤白王子表参道)⛩️

駐車場に面したところにありますニコニコ

手水舎⛩️


楠(海南市指定天然記念物)⛩️


藤白王子権現本堂(藤代王子)⛩️

藤白五躰王子の神宮寺として栄えた中道寺の熊野三所権現と藤代若一王子の本地仏を祀る。熊野本宮の阿弥陀如来坐像、熊野速玉の薬師如来坐像、熊野那智の千手観音坐像、藤代若一王子の十一面観音立像は平安末期の造像である。また、毘沙門天と不動明王三尊は熊野口の守り神と伝わる。





境内社(有間皇子神社)⛩️

由緒書には、孝徳天皇の皇子であった有間皇子は皇位継承を巡る争いの中で19歳の若さで散る。政敵であった中大兄皇子が蘇我赤兄を誘って有間皇子に謀反を勧めて、罠に掛かった皇子は釈明のため、白浜にいる斉明天皇の許に赴いた帰路にこの地で殺害されたという。万葉集には有間皇子の二首が納められている。

境内(熊野古道)⛩️

鳥居(藤白王子裏参道)⛩️

神社から藤白坂方向⛩️

途中に有間皇子の石碑があります。

熊野古道はこの神社を過ぎると当時は難所と言われた藤白坂に至り、そこを越えると藤代塔下王子(地蔵峰寺)に至ります長音記号1走る人


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藤白神社には前に更新した鈴木屋敷と合わせて去年の11月に行きましたニコニコ

その時は熊野古道云々というのはあまりなく、神社として行ったので改めて見直して実感しましたニコニコ

この先は山越えですが、熊野古道というより王子だけをピンポイントで行っているので、遠回りになりますが海岸線から山に入っても行けるようです長音記号1車DASH!

とはいえ、時間を思いっきり取らないと行くのは難しいので、とりあえず、今回の散策で残した菩提房王子を先に行きたいと思いますニコニコ

明日は菩提房王子を探している最中に見つけた幡川の禅林寺を紹介しますニコニコ

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