禅林寺(真言宗海南別院、海南市幡川) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございますニコニコ

いよいよ最後(笑)

まさか正月早々…

猫の盛りを聞くことになるとは(違)

お盛んねぇ…猫ですけどにひひ

さて…

菩提房王子を探しあぐねてたどり着いた禅林寺長音記号1車DASH!

前からあるのは知っていましたがまさかこんなに格式が高い寺とは知らず…実際に訪問したのは今回が初めてでしたニコニコ

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禅林寺家
高野山真言宗海南別院。山号は幡川山。院号は薬師院。ぼけよけ二十四地蔵尊霊場第三番札所。高野長峰十霊場第一番札所。西国薬師四十九霊場第十二番札所。紀伊国十三仏霊場第七番札所。本尊は薬師如来座像(天平時代の作)。

禅林寺の開創は、奈良時代の中国僧為光上人で禅林寺を創建後、紀三井寺(救世観音宗総本山、西国三十三観音霊場第二番札所)を建立したと伝わる。この寺の最盛期は南北朝時代で、建武年間に南朝方の浅間入道覚心の帰依を受け、その寺域は三方を山で囲まれた薬師谷全域に広がり、七堂伽藍、僧坊十二院を整えてその荘厳さを誇っていた。戦国時代に至り、豊臣秀吉の紀州攻めの兵火に遭い、全山焼失。寺領もことごとく没収された。

慶長2年(1597年)、中興の祖である秀慶上人がこの寺を再興するため、この地に逗留していたところ、夜半山中に光を発するものがあるのを見つけて行ってみると、焼け残った薬師如来のお首があったという。これを京に持ち帰って、仏師高慶に土で仏体を作らせて薬師堂にお祀りされたのが現在のご本尊と伝わっている。以来、病気平癒、特に眼病に霊験あるとして、江戸時代を通じて人々の信仰を集めたという。その後、明治の廃仏毀釈の影響で無住寺となったが、地元の尽力で再興した。

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山門ひらめき電球

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手水舎ひらめき電球

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鐘楼ひらめき電球

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御本尊開帳大法要記念碑ひらめき電球

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本堂ひらめき電球

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庫裡ひらめき電球

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水子地蔵ひらめき電球

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足神ひらめき電球

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大師堂ひらめき電球

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ぼけよけ地蔵尊ひらめき電球

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眼薬井戸ひらめき電球

年末の散策はこれで終了となりましたニコニコ

次は5日から再開したいと思いますニコニコ

合同探索のため、天候や足場不良の延期で年明けまで行けなかったところですが、今回は!?

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