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20代半ばだった頃。アパートの隣室に住む青年は、大きな衛星アンテナを付けていた。

彼は、曙橋(あけぼのばし)にあったテレビ局の社員を名乗った。高給で鳴らすメディアに勤めてるのに、どうしてこの街にいるのか不思議だったけれど、ほどなく「寝る時間が欲しくて」、会社の近くに引っ越していった。

そして時は流れて。

彼はいま、どうしているんだろう?

 

1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、曙橋のテレビ局は「生存者の救出を独占生中継」という特大スクープを放った。

他局に先んじた最新の中継技術に、途方もなく重いパラボナアンテナを担いで御巣鷹の尾根を登った、取材者のバイタリティー。彼らが撮った映像には、有無を言わせぬ説得力があった。

 

ドラマやバラエティーで圧倒的な視聴者の支持を得て、報道機関としての評価も高かった、かつてのフジテレビ。

視聴率も売上高も勢いも、日本一の民放テレビ局だった。

 

いまのフジテレビ。その惨状は全く目を覆うばかりだ。

2025年1月17日。自らの記者会見でテレビカメラの映像を入れなかったフジテレビは、報道機関の使命を捨ててしまった。

そして1月27日。激しい批判を浴びてやり直した会見は怒号と徒労感にあふれ、離れていった視聴者やスポンサーが振り向くような表明は最後まで無かった。

 

輝いていた曙橋のテレビ局は1997年、更なる飛躍を期してお台場に引っ越していった。

そして時は流れて。

フジテレビはいま、どうしてこうなっちゃったんだろう?

 

 

 

のちにユッコこと岡田有希子と呼ばれた少女・佐藤佳代さんが名古屋で過ごした幼い日に、目を輝かせて観ていたであろうアニメ「アルプスの少女ハイジ」。

〝母と子のフジテレビ〟というキャッチフレーズだった時代の1974年、東海テレビなどの系列局を通して日本中の子どもたちに感動を与えました…わたしもその一人でした。

photo by yukikostarlight