数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。

太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。

 

昼下がりにいつものコースを走っていたら、道路に一台の観光バスが止まっていて。

一瞬視界に入った「銀河鉄道」の四文字に、思わず引き返して二度見した。


 

小学四年の頃、わたしは将来の夢を〝宮沢賢治みたいになりたい〟と綴った。
彼の伝記や童話に触れ、カッコイイと思ったのだ。イーハトーブ、
ジョバンニ、カムパネルラ…。

他の子は野球選手や漫画家やブルートレインの車掌だったから、えらく悪目立ちしたのは言うまでもない。

 

小学五年の頃、宇宙を駆ける汽車で旅する少年の物語が大ヒットした。

C62が牽く銀河超特急、電気機関車のEF58だってカッコイイよね。

そう思ったのだけど、周囲の誰にも共感してもらえず悲しかった。

 

「銀河鉄道」は、忘れかけていたそんな記憶も乗せていた。

 

 

寡聞にして知らなかったが「銀河鉄道株式会社」は実在する。

鉄道事業は一切行っていないのに、鉄道を名乗っていいのかしら?

という疑問はさておき。

気になる社名は1999年の創業時に「銀河鉄道999」をかけて付けたそうだ。

 

酒屋の息子だった社長は、幼少時からバスが大好きだったという。

そして学生時代に大型二種免許を取り、一台の中古バスを手に入れた。

その頃に思い描いたバス会社設立の夢を、十年余りのちに実現させた。

 

同社は志村けんさんの故郷、東京・東村山周辺で路線バスを運行する。

車庫を置く拠点はその名も「太陽系地球営業所」。

同社のバスが走るのは、大手バス会社が撤退した地域。

あるいは住民が長年陳情しても、バスが通らなかった地域…という。

 

洗車機を使わず、毎日手作業でバスを磨き上げる同社のこだわりは「前乗り・後ろ降り」。

運転士が、乗り込むお客さんの顔を見て挨拶できるからだ。

東日本大震災のとき、同社はボランティアの学生や物資を被災地に無償で運び、社長自ら復興作業に当たったという。

 

そんな銀河鉄道も、志村さんの命を奪ったコロナ禍に苦しめられる。

稼ぎ頭だった貸切バス需要は消え、乗客のいなくなった路線バスを、国の要請を受けて採算度外視で走らせ続けた。

 

コロナ収束とともに、猶予されていた税金や保険料の支払いに迫られ、燃料費の高騰に追い討ちをかけられた。資金繰りが逼迫した昨年末には事業継続のため、大切なバスを数台泣く泣く手放した。

 

線路を持たない「銀河鉄道」は、今年で創立25年目

これからもずっと走り続けることを、心から願いたい。

 

 

読書家だったユッコこと岡田有希子さんは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだのでしょうか?

わたしは恥ずかしながら、この作品に蒸気機関車が登場しないことを今回初めて知りました…

photo by yukikostarlight