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それは、忌まわしきコロナ禍がやってきた年の春だった。
健診で「右腎石灰化」という恐ろしい宣告を受けたにもかかわらず、わたしは毎晩何本も缶ビールを開けていた。慣れない在宅勤務によるストレス解消のため、などと言い訳しつつ。
異変は小用のとき目にした、限りなく赤に近いオレンジ色だった。
コレはひょっとしてもしかして、話に聞くアレの前触れでは?
その時は、近い将来エライ目に遭うかも…などと考える余裕がまだあった。
「近い将来」は、それから小一時間後にはもう訪れていた。背中に走る激痛、横になることすらできない。
脂汗にまみれ、うつ伏せの変な格好でのたうち回るわたし。ツレさんもわが子も、ただ事ではないと思ったという。
背中から脇腹にかけて、経験したことのない痛みが断続的に続く。なにが辛いって、痛すぎて全く眠れないのがツライ、ツラすぎる。
平時なら迷わず救急車を呼ぶところだけど、あの頃は非常時だったのだ。タクシーを使うのも憚られた。文字通り一晩中、布団の上で転げ回るしかなかった。
そして迎えた朝は、土砂降りだった。
院内感染が起きてニュース番組に映った、最寄りの病院にひとりトボトボ徒歩で向かう。痛みのピークは越えていたけど、たどり着くまで普段でも歩いて30分弱の倍以上はかかった。日曜日だったけど、世の中は不要不急の外出自粛。誰ともすれ違わない。
強風で折れた傘。あゝ痛い、医者に会いたい。
病院で待つこと数時間、昼過ぎにようやく診察を受けられた。
若い医師が大きなマスク越しに「よく我慢しましたね〜」。
処方された薬は数種類、朝昼晩の1カ月分。ものすごい量に圧倒された、なくなるのは遥か先に思えて落ち込んだ。でも鎮痛剤の効果は劇的で、痛みのない世界に帰ってこれたのは嬉しかった。
その薬を全て飲み終えようとする頃。わたしの体から小さな、ほんとにちいさな石がでた。こんなに小さいものが、あんなにわたしを苦しめたのか。
その時の気持ちを思い出せば、心から喜んだ…というよりとにかく、安心したのだった。
ユッコこと岡田有希子さんは最後のシングル「くちびるNetwork」がオリコン1位になったとき、喜びより期待に応えることができて安心した、と語ったのだそうです。
その思いの一万分の一くらいは、なんとなく理解できる気がします。彼女の意思とわたしの石とじゃ、比べ物になりませんが…。
photo by yukikostarlight